小説家になる/ならないというより、やる/やらない程度のこと
市川さんにとって「小説家になる」とは。
「う~ん、今はプロアマの境目って限りなく薄れていますよね。私も小説投稿サイトの端に棲息していたので、読んでくれる人がいれば小説家だし、小説家になる/ならないというより、やる/やらない程度のことだと思うようになりました。そのほうが公募で一喜一憂するより精神衛生上良いですし。ただ、自分にとっては公称することができる職業名を得たというのは大きいです。この先やっていけるのかな、という不安はありますが」
文學界新人賞・市川沙央さん 「なにか職業が欲しかった」ままならぬ体と応募生活20年の果てに 「小説家になりたい人が、なった人に聞いてみた。」#1|好書好日
こういう、就業や所属や実績によらずに「おのれの行動」によってアイデンティティを打ち立てようとするスタンスが好みだな〜。
なんとなく「小説家」というと職にしていなきゃ感が強まるとは思っていて、だから「小説書き」くらいの表現にして、単に「小説を書いている人」を指し示せたらいいよね、というシチュエーションもある。
「小説家」よりも「小説書き」
「歌手」よりも「歌うたい」
「ギタリスト」よりも「ギター弾き」
「プログラマ」よりも「コード書き」
「鬼殺隊」よりも「鬼殺し」
みたいな、対象と行為をセットにした言い換えが有効なときもあると思っている。
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