学校図書館と情報活用能力の育成
記事のタイトルはちょっと過激で、誰かを叩きたくてうろうろしている人々を集めそうだな〜と感じる。そういった過激な成分があるおかげで多くの人の目に触れ、ぼくのもとにまで流れてきたので、そのことには感謝したい。でもやっぱり過激な部分だけを強調するタイトリングは好みではないよ!
インターネット上の情報をまとめて伝えることは、果たして学校図書館の自殺行為となるのか。実はこうした認識は、決して少数派ではないのではないか。そしてまた最初の問いに戻る。学校図書館は、紙の本を貸出し、本の紹介だけをする場所だと思われてはいまいか。
という問題提起から始まる。
1990年には当時の文部省より、「情報教育に関する手引き」が出された。そこで重視されたのは以下の4点である。
・情報の判断、選択、整理処理能力および新たな情報の創造伝達能力
・情報化社会の特質、情報化の社会や人間に対する影響の理解
・情報の重要性の認識、情報に関する責任感
・情報科学の基礎及び情報手段(特にコンピュータ)の特徴の理解、基本的な操作能力習得
へ〜!「情報教育」ってぼくはちゃんと考えたことがなかったけど、たしかになぁと思える内容で学びがある。これは教育分野のこと、として他人事にするのは簡単だけれど、よくよく見てみると「これ、同じチームでお仕事をする人々といっしょに伸ばしていきたいぼくらのスキルじゃん」と思える。ぜんぜん他人事ではない。むしろぼくらの中心的なスキルと言ってもよいくらいではないか。 新学習指導要領では、小学校でプログラミング教育が導入されるという点なども踏まえ、情報の科学的理解に軸足を置き、情報通信ネットワークに重点を置いた内容であることは理解できるが、この「情報教育に関する資料」の中に、学校図書館は一切出てこないのである。
ほうほう。どうしてなんでしょうね。
ここでいくつかの疑問が出てくる。例えば「情報活用能力」とは「ICT活用能力」とイコールなのか? という疑問である。コンピュータが登場して以来、社会の大きな変化を受けて、情報活用能力を育てることを目的とした「情報教育」は、ICT活用教育へと軸足が大きく動き始めた。
そして、情報活用教育がICT活用教育にシフトするにつれ、情報学から図書館情報学が、そして情報教育から学校図書館が切り離されていくような危機感を抱いたのは、私だけではないだろう。
また、その一方で、学校図書館が、情報活用能力の育成から切り離された(ように見える)要因の一つに、実は学校図書館(あるいは学校図書館を管理する学校)がそのICT化から目を背けてきた現実はなかったか、という疑問がわく。
学校図書館が扱う「情報」は、本だけではない。インターネットの情報も含めた、あらゆる「情報」である。あらゆる「情報」を扱う学校図書館は、「情報活用能力」の育成にどう関わるか。そして、そのことをどう学校教育の中に位置付けていくか。それは学校図書館に突きつけられた、大きな課題である。
ぼくはこれまでの人生の中で「学校図書館の役割はなにか」を考えたことがなかったなあ。「本を貸してくれる場所」という機能に注目した理解は持っているけれど、なんのために本を貸すのか、とか、本を貸す以外のこと、とか、いろんな観点があるね。ぼくが学校の運営者だったら、図書館をどう活かすか考えるのは楽しそうだし、工夫の余地がありそう。 私は、学校図書館は、児童生徒の学びのプロセスを包括的に支える場所であると考えている。「学びのプロセス」とは、課題や疑問を見つけて、それらを解決するための情報を集め、取捨選択し、再構築し、伝え、振り返る、といった一連のプロセスだ。
この考えは共感できるものだ。だとすると「図書館」という名前がよくないのかもしれないな、と思うに至る。説明的にすれば「学習支援場」になりそうだけど、これだと抽象的すぎて魅力や役割が伝わらないかもしれない。でもとにかく、図書館ってのは、その名前から考え直した方がいいくらいに、存在を見つめ直す時期を迎えているのだろう。ってことがわかった記事だった。おもしろかった。