同僚を家族とは思っていない
尊敬している同僚は何人もいますけどね、彼ら彼女らを家族みたいに捉えてはいないな、と気付いたので明文化してみよう。
そういや Netflix のカルチャーガイドにも「チームメイトは家族じゃない」的なことが書いてあった。
We model ourselves on being a team, not a family. A family is about unconditional love, despite your siblings’ unusual behavior. A dream team is about pushing yourself to be the best teammate you can be, caring intensely about your teammates, and knowing that you may not be on the team forever.
ぼくのキャパシティのお話として、なにがあっても面倒を見るぞ!というスタンスでいられる相手は奥さんひとりだけだと思う。自分も奥さんも元気なタイミングであれば、ギリギリでぼくらの親兄弟の支援くらいはできるかな、という感触。それ以外の人々については、お互いに自律した個人同士としての関係じゃなければ成立しないと思っている派です。ぼくがこの人生の間に手を伸ばせる対象は、そんなに多くない。
ティール組織の分類によれば、組織のメタファは次のように説明される。 オレンジでは、組織は機械
グリーンでは、組織は家族
ティールでは、組織は生物
この中でいえば自分の考えは、ティールの雰囲気に近いかな、という気がする。考え全体でいうとオレンジっぽい思考が多いけれど、組織のメタファについてはティールのそれに近い。
組織についての考えは「健全に命をまっとうさせる」であり、そこにおける自分は「ひとつの細胞」あるいは「ひとつの器官」としてふるまうイメージ。なのでぼくが組織にとっての癌になったら切除してほしいし、古い細胞になったら適切に代謝されてほしいですね。代謝と退社をかける意図はない。
完全に個人の感覚だけど、家族のメタファだと「家族を見捨てるなんてとんでもない」という話が先立ちそうで、当人たちも含めた全体にとってのベストな判断を下す妨げになりそうな気がしちゃうんだよな。不健全にズルズルと続く関係より、健全にサヨナラできる関係を選びたい。
(ぼくにとっての家族は「見捨ててはいけない」という意味合いが強いのだとここまで書いて気付く。この考えを他者に強要するつもりはない)
ティール組織の中で紹介されていた企業の例だと、十分な退職金を渡して「あなたにぴったりの次のチームが見つかりますように」と、その人の人生をちゃんと応援するんですよね。心から応援する。家族という鎖で縛らない。これがぼくにはよいことに思えた。これって、家族のメタファからは生じないエールだなぁ、と思って。
資産が 5,000 兆円あったら「君は家族!ぼくが面倒を見るよ!うちにおいで!」ってカジュアルに言えるのかもしれない。