他者との関係性の中で自分の輪郭を浮かばせる
2005 年くらいに、ブログの流行に乗っかる形で自身の情報発信チャンネルを持つようになった。それから 20 年近く、独自ドメインを取得して自作のブログサイトで発信したり、ここの Cosense で日記や雑記を書いたりしてきた。 そうして「自分は誰であるか」を示すようなコンテンツを蓄積してきた。おかげで、数年に渡って自分のブログや日記などなどに触れてくれている人とは、出会いで事故るようなことはほぼないな、と感じている。ぼくの発する言葉に少なからず共感してくれる人、あるいは、スタンスや意見は大きく異なっても「対話可能である」と感じてくれた人がぼくに話しかけてくるので、おもしろい出会いばかりが生じていて本当に助かっている。みんなありがとう。
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2020 年以降には「映像」「音声」での情報発信にも挑戦した。具体的には、おつかれシャワーとキマグレエフエムから始まった思索であった。「テキスト」と比べたときのメディアとしての性質のちがいについて思うことはいろいろとあるのだが、ここでは特に「対談形式の成立のしやすさ」について考えたい。 今にして思えば、ぼくが記し続けてきたブログや日記は「独り語り」「独白」の形式であった。他者のテキストを引用したり考えを引いてきたりすることはあっても、基本的には書き手である自分が全体を編んで、流れを決めている。テキストは推敲コストも相対的に低いので、やはり全体の流れを考えて細部を剪定することも多かった。
「映像」や「音声」といったメディアでの情報発信を始めてみると、それは極めてナチュラルに「対談」の形式に至った。そもそもキマグレエフエムは r_takaishi からのお誘いによって始動しているので、対談形式で生まれている。おつかれシャワーも june29 Vlog として始まった当初は個人の Vlog という営みであったが、ゲストに hmsk を迎えたその日から、他者とのインタラクションを楽しんでそれを記録して公開する、という新たな趣味の形に到達した。 ところで、2014 年に開催したぼくたち夫婦の結婚式および披露宴のテーマは「オールスター」であった。参加者全員になにかしらの役目を引き受けてもらって、場の進行に参加してもらうという設計にした。父母妹弟弟やさまざまな時代の友人たちにぼくたち夫婦の近況を知ってもらいたいと願うならば、ぼくらのプロフィールや馴れ初めばかりを紹介するのではなく「どんな人たちに囲まれて過ごしているか」を示すのが効果的であろうと考えたのだ。 「こんなにすてきな人たちに囲まれて暮らしているので、これからの生活もなんとかなると思います」として、新婦と新郎だけでがんばっていくのではないよ、というスタンスを示せたと思う。
もとの話に戻る。自分が自分のことを記録して発信していくならば、ぼくひとりで書き連ねて話していくだけでは不十分なのではないか。ひとりで書いて語るのは、けっこうやってこれただろう。もし 1 年後にぼくの命が尽きるとして、今日からの 365 日間の自分の日々を記録していくとしたら。もっと、他者との関係性を含めてパッケージしてみたいと強く思う。
なので 2025 年は、とにかくいろんな他者との「対談」「対話」のような記録を残し、保存していきたい。ポッドキャストや動画チャンネルへの出演依頼は積極的に引き受けるつもり。自分からも、雑に声かけして誘っていこう。他者との関係性の中で「じゅんぼくって、こういうやつ」を浮かび上がらせていきたい。