他人の考えから離れる
こう定義しているのは、私にはちょっとドキッとさせられるものがあった。この定義通りに、本当に一人で、本もポッドキャストもなしに、他人の考えから離れて時間を過ごすことって、最近していたっけ?
いままでは、シグナル/ノイズ比の改善というか、「悪い」情報を減らして「良い」情報を増やそう、という意識があった。最近は、そもそも良い情報も程々でいいかな、というところに意識が変わりつつある。
Scrapbox は一時期 hub に書きこんだり、ほかにも個人のものを色々と読んだりしていた。面白いのだけど、冒頭の「他人の考えから離れる」という意識もあって、最近はひかえている。
kzys さんのお話を受けて、自分はどうか?と考えた 2019 年のぼくは「不特定多数の他人の考えと触れる頻度を減らす」という感じで、ペースダウンを目指したように思う
ほとんどの相手とは、そこまでリアルタイムに言葉を交わさなくても問題ない、自分のペースでやる
自分のペースで考える
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結果として無関心のすすめになっているので、そこに居心地の悪さは感じる。
民主主義国家の国民として、ある程度はニュースに関心を払うべきじゃないかとか、一応の専門家として、何かいうべきことがあるんじゃないか、という気持ちはある。
一方で、Twitter で怒ってリツイートしたり、Facebook のプロフィール画像をワンクリックで何かに変えてみたりすることに、何か意味があるのかなあ、というと、社会に対する参加のしかたとして、もうちょっと何かあるだろうとも思う。