他人に対する「嫉妬」や「束縛」について
妻と雑談していて「おぬしは、嫉妬の気持ちを抱いたり、他人を束縛したいと思ったりすることはあるんか?」という旨のことを聞かれて、考えながら回答したら発見があったのでここにもメモしておく。話題はあちこちに飛ぶ。散文。 期待の持ち方
思い出せる範囲で考えてみて、30 歳を過ぎたあたりから気持ちがぐちゃぐちゃになってどうにもならんような時間はほとんどなくなったんじゃないかな、と思う。
17 〜 19 歳くらいの頃は、同級生の女子たちが年上の男の人たちの車に乗って出かけていくのを見かけると「おもしろくねーな」という気分になっていた覚えがある。あれはなんだったんだろう。自分の裁量ではどうにもならないような「思い通りにならなさ」に対して憤っていたような気がする。
22 歳くらいまで、美容室での髪型の仕上がりに不満を抱くことが多かった。これは美容師さんの腕が悪いという話ではなくて、完全にぼくの期待の持ち方が悪かった。髪型がたくさん掲載されている雑誌を見て「こういう髪型にしたい」と思うものの、自分の髪質に合わなかったり似合わない髪型を選んだりしていると、期待するような結果には到達しない。 人生の前半は、期待の持ち方が下手だった。満たされない心があり、自分は特別であってほしいという願いがあり、身の丈にあわない期待を抱きがちだった。その結果、期待と実際のギャップに苦しむことが多かった。
いちばん好きな祈り
不確実性の高いものをうまいこと扱いたいと本気で考えるようになり、わからないものは「わからない」と割り切れるようになり、現実を現実のまま受け入れることが上手になり、期待の持ち方がうまくなっていった。思い通りにならない現実をもどかしく感じることが減っていった。 今では、なりたい髪型なんて持たない。美容師さんと対話しながら「じゃあ、そんな感じで!」とお願いする。どんな結果になっても「わしの見た目は、こんなもんだよな」と思うだけなので、不満を抱くことは一切なくなった。美容師さんには「ぜったいに文句を言ったりしないので、のびのびとやってください」と声をかけるようにしている。プロがリラックスして取り組むと、だいたいよい結果になる。 ありがとう、ニーバー。
放任
うちの両親は、わりと放任スタイルでぼくを育ててくれたと感じている。「あれをやれ、これをやれ」と細かいことはあまり言われなかった。就職だとか、上京だとか、結婚だとか。ライフイベントと呼べるような大きさの意思決定についても特になにかを言われたことはない。 あまりにもなにも言われないもんだから「ぼくに興味がないのか…?」と思ったこともあるが、おつかれシャワーを見たりしてくれているようなので、遠くからそっと見守るスタンスなのだと思う。 根無し草
どこにも自分の居場所がないような感覚があるし、どこでも自分の居場所になるような感覚もある。風まかせ、諸国漫遊記。ヒソカは自分以外の誰にも属さない。特定の場所や特定の事柄に対する執着みたいなものがぜんぜんないような気がする。だから、那須塩原市への引っ越しも大きな決断というノリでもなく決めることができた。 対人関係もそんな感じで、数年に渡って交流が続いている友人たちにはいつも感謝しているけれど、いつ誰が遠くに行ったとしても仕方ないよな、そういうもんだよな、という儚さはずっと感じている。
依存や執着
自分が強く依存している対象や執着している対象を失いそうになるなど、自身のアイデンティティが脅かされそうと感じるとき、人間は防衛的に、ひいては攻撃的にもなりやすいと思う。 自分は、そういったアイデンティティの危機のようなストレスフルな状況に陥りたくないと考えていて、なので特定少数のなにかに自己を預けすぎないようにしている。意識的にそうしているってのもあるし、無意識的にそういった判断をしていることもありそう。 妻や、身近な人々や好きな物事について、永きに渡って大事にしたい気持ちを持ちつつ、変に依存しないように気をつけたいとも思っている。誰かを自分に依存させるようなイネーブリングも行いたくない。 嫉妬や束縛
ここ 10 年くらいは、誰かを嫉妬したり、誰かを束縛したいと思ったり、そういう感情はなかった気がするなあ。 ぼくは嫉妬したくないしされたくないし、束縛したくないしされたくない。なるべく自由を確保して生きていきたい。コントロールできないものに対してコントロールしようとする視点を持ちたくない。なるようにしかならない。他方、システムにはたらきかけることで環境的に確率的にコントロールできるものは、うまいことコントロールして自分にとってうれしい結果を引く可能性を高めていきたい。個人という点に対して、あまり強くはたらきかけたくないんだなあ。場に対してはたらきかけるのが好みなんだと思う。 余談
落ち着いた気持ちで書こうと思って書いたので落ち着いた文章になったけれど。実際に妻がいなくなるようなことがあったら、ぼくは体調を崩すくらいに影響を受けるかもなあ、となんとなく思う。