オードリー・タンが語るCOVID-19対策と新しいデモクラシーのかたち
あまりにも尊くて、読みながらちょっと泣いてしまった…。直前にハンコ大臣の記事を読んでいたからギャップにやられたってのもあるけど。あんまり比べても仕方がないので、とにかくオードリー・タンさんから学べることを学ぼう。 薬局でのマスク配布は、蘇貞昌・行政院長(首相)のアイデアです。彼は、ユーモラスな発言や、買い占めに対して「もっと買って!」と呼びかけたことでも日本でも話題になりましたね。わたしがやったことといえば市民が開発したものを首相に見せることだけでした。2月3日だったと思います。海南省のハワード・ウーとウー・チャンウェイという人がマスクの在庫とコンビニエンスストアのインタラクティブマップのプロトタイプをすでにつくっていたのです。
このタスクフォースは巨大です。しかもわたしがチームをリードしたわけではありません。今回のマスクのプロジェクトは、シビックテックコミュニティと政府内のテックチーム(GovTech:政府のテクノロジー活用。政府が積極的に新しい技術を取り入れ、公的サービスをテクノロジーの力でより良いものにする活動)の主導によるもので、わたしはあくまでも、彼らが円滑にコミュニケートするためのパイプの役割を果たしているだけです。シビックテックサイドの「g0v」(gov-zero・零時政府)のCOVID-19チャンネルには、現時点で431人の市民が参加しています。政府内のテックチームにも同程度の人数がいます。わたしはどちらのチームを率いているわけではありません。わたしはこれらのチームが協力し合えるようにするパイプ役にすぎないのです。 そうですね。マスクのオンライン注文システムは、新しいシステムなので、ここ数週間それに集中していましたが、とてもうまくいっています。これと並行して進めてきたのはデマ対策の取り組みで、これは日本からも注目を集めています。“Humor over Rumor”(噂よりもユーモアを)というプロジェクトです。
台湾では、政府よりもシビックセクター、ソーシャルセクターの方により権威があり、むしろ政府よりも支持されているほどです。もっとも現政権の支持率は、今回の事態によって非常に高いものになってはいますが。それでも多くの人びとは慈善団体やジャーナリストといったソーシャルセクターのほうをより信頼しています。台湾には、総統選挙が行われるようになる前からコミュニティビルディングの長い伝統があります。ですから、内閣は、ソーシャルセクターやその一部であるシビックテックコミュニティと敵対するよりも、むしろ積極的に協働することが文化となっているのです。
わたしは、政府と“一緒に”仕事をしているのであって、政府の“ために”仕事をしているわけではないからです。
これかっこよすぎてもう無理…。
付け加えるとすれば、ひまわり学生運動の前は、1999年に起きた921大地震も大きな契機として挙げられるかと思います。そこでは市民のみなさんが、復興のために通信を担ったり、物流を担ったりしました。台風や地震といったものは人びとを結びつけるものです。日本の方には言うまでもないでしょうが。
取材にきている日本人への配慮が感じられるコメント…すごすぎる。
──2014年以前から、政府はDX(デジタルトランスフォーメーション)を熱望していたのでしょうか。それとも学生運動を通じて、その重要性に気付いたのでしょうか?DXに対する政府の態度はどのように変化しましたか。
わたしたちは、デジタルに“トランスフォーム”(変換)するとは考えていません。どちらかというと従来のアナログのプロセスをより多くの人に届くように“増幅”していると考えています。「デジタルトランスフォーメーション」は何かを奪うものではないんです。
はわーーー。視座を上げてもらった感じがしますね…。問題の設定をあらためたいと思わされた。
わたし自身がプロジェクトを始めることはないんです。プロジェクトは常にソーシャルセクターやシビックテック、g0vや行政の方々のアイデアから生まれます。わたしの役割は、彼らの業務を可視化し効率化し、コラボレーションを最大化することだけです。わたしのオフィスには各省庁から派遣されているスタッフとシビックテックの人びとが半分ずついます。そして、毎週水曜日にランチやオフィスアワーを設けて、わたしのところに遊びに来てくださいと声を大にして呼びかけています。台湾国内から生み出される、どんなセクターから提出されたどんなに小さなイノベーションであっても、それがきちんと増幅されるように気を配ることがわたしたちの仕事です。ですから、わたしたちは絶えず何が起きているのか学び続けています。
学び続けよう…せめてぼくも学び続けることだけは忘れないように。
ふたつ目は、ラジカルな透明性(Radical Transparency)です。わたしが議長を務める会議や、わたしが行ったインタビューなどは、このインタビューも含めて全て録音して、クリエイティブ・コモンズを使って公開しています。記録を見れば、わたしがどれだけ公共の利益のために活動をしているかを判断してもらうことができます。ただ公開するだけなのですが、こうした公開情報がセクターを超えたコラボレーションをもたらすことにもなります。文化の翻訳者のようなものです。
ひとりの日本人として、悔しい想いを抱きながら読むことになっちまったな…。
──ソーシャルセクターは基本的には非営利(Non-Profit)の組織ですよね?
利益を“伴う”(With-Profit)と言った方がいいかと思います。
言葉を思考と一致させるべく、少しもブレさせない。誠実な態度だと思う。ぼくらがなんとなくで使っている言葉も、オードリー・タンさんの前ではピッと正される感じ。 ──たとえばそうしたデジタルテクノロジーの使い方に対する教育に、国はどの程度力を入れたのでしょう? ITリテラシーを高めるための投資ということですが。
わたしたちは「リテラシー」という言い方をせず「デジタルコンピテンス」、および「メディアコンピテンス」と呼んでいます。「リテラシー」という言い方は、ユーザーが読者や視聴者といった受け手であることを前提としているからです。コンピテンシーは能力や適性という意味ですが、「あなたがつくり手である」ということを意味しています。
ぼくも「リテラシー」と言ってしまっていたなあ…。もっとちゃんと調べて言葉を使おう。
社会民主主義的なコミュニティづくりは、少なくとも80年代から始まっていますが、それは戒厳令の解除が検討され始めた頃にまで遡ることができるかと思います。ご存知のように台湾では総統選挙は1996年まで行われていませんでしたから、ソーシャルセクターは総統選挙が行われる10年以上も前から、その存在感を高めてきたということになります。それはわたしたちにとっては非常に幸運なことでもあり、それが台湾という国を定義づけているものでもあるのです。わたしたちは自分たちの国を「民国」と呼んでいます。文字通り市民の共和国でという意味です。直接参加型のデモクラシーについて言えば、これは孫文以来の伝統で、彼はその理論を英国のヘンリー・ジョージに学んだのです。ヘンリー・ジョージはソーシャルセクターの思想家で、左翼でも右翼でもなく、ソーシャルなんです。
このあたりぼくは疎くて意味をじゅうぶんに読み取れていない感じがする。「左翼でも右翼でもなく、ソーシャル」ってフレーズに力強さを感じるので、わかるようになっていこう。
透明性と個人情報保護は、相反するものではありません。
本当に、偽の排反の罠にハマらずにこういうことを言える人を増やしていかないとだなあ。 透明性がイヤであれば、わたしに面会ができなくなる。それだけのことです。これがわたしが蘇貞昌内閣に望む公式訪問の原則です。その原則に違反して、秘密裏にロビー活動をしようとしたり、業務規定、法律上の協定に違反するようなことを求められたら、わたしは公務員倫理の部署に報告しますが、それは法律で定められていることでもありますからね。
まっすぐだ。
──プログラミング教育を受けるのに最適な年齢ってありますか?
150歳以下なら何歳でもいいと思います。150歳以上についてはちょっとわかりません(笑)。
わっはっは。
ただ、台湾には、アジャイル開発を使うべきときと使用すべきでないときを策定した政府のデジタルサービスガイドライン(Government Digital Service Guideline)というものがあります。大まかに言いますと、自分がどのような問題を解決しているのかがわからないときにはアジャイル開発を行い、解決しようとしている問題がわかっているときは、そこで必要なのは「最適化」ですから、アジャイル開発は意味がありません。そうしたこともガイドラインのなかには含まれています。
おみそれしました!
──たしかにその通りですね。これで最後ですが、情報技術やデジタルテクノロジーは、現在のこのような状況でどんな希望を与えることができるのか、メッセージをいただけますか。このような時に、デジタルテクノロジーが持つ力についてメッセージをいただけませんか。
お気に入りのレナード・コーエンの詩から引用します。
Ring the bells that still can ring
Forget your perfect offering
There is a crack, a crack in everything
That's how the light gets in
まだ鳴らせる鐘を打ち鳴らせ
完璧な捧げ物なんて忘れてしまえ
すべてのものはひび割れている
光はそこから射しこんでくる