エイダ・ラブレス
ラブレース伯爵夫人オーガスタ・エイダ・キング(Augusta Ada King, Countess of Lovelace, 1815年12月10日 - 1852年11月27日)は、19世紀のイギリスの貴族の女性。ミドルネームのエイダで知られる。結婚前の姓はバイロン。詩人第6代バイロン男爵ジョージ・ゴードン・バイロンの一人娘であり、数学を愛好した。主にチャールズ・バベッジの考案した初期の汎用計算機である解析機関についての著作で知られている。
1842年から1843年にかけての9か月間にエイダは、バベッジがイタリアで解析機関について講演した際の記録をイタリア人数学者ルイジ・メナブレアが出版したものを(ホィートストン経由で)入手し、英語に翻訳したが、バベッジの勧めもあって本文の2倍以上の分量の訳注を付けた。その中に掲載された、パンチカードを利用したベルヌーイ数を求めるための解析機関用プログラムのコードは、世界初のコンピュータプログラムと言われている。ただし、このプログラムはバベッジ自身が書き、エイダは単にバベッジのコーディングミス(バグ)を指摘しただけだというのが定説となっており、実際にバベッジがその訳注に載っているプログラムを全て書いたという証拠も見つかっている。ただ、彼女の文章は、バベッジ自身も気づかなかった解析機関の可能性に言及している。この件はバベッジとエイダの共同研究のスタートだったとみなされている。自らを「詩的な科学者」と自認するエイダは、「たとえば、これまで音楽学の和音理論や作曲論で論じられてきた音階の基本的な構成を、数値やその組み合わせに置き換えることができれば、解析エンジンは曲の複雑さや長さを問わず、細密で系統的な音楽作品を作曲できるでしょう」と述べている。
2人の知見は長らく評価されなかったが、約100年後の1940年代初頭に電気や真空管を動力とする初の実用的なコンピュータが開発されるに至り、まったく無関係な形で「再発見」された。さらに数十年後の1970年代にいたり、コンピュータがただの計算機ではなく芸術を生み出すツールにもなるというエイダの発想は現実のものとなった。