わざわざコストをかけて表記を間違えちゃうパターン
たとえば「Juneboku」という名称があったとして、表記とかぜんぜん気にしない人が「juneboku」と表記するのは「コスト最小化戦略」として納得感が高い。そういう人が文章において Google を google と、Apple を apple と書いていると、とにかく表記がどうとか気にせずにいちばんコストがかからないタイピングでやっているんだな、と感じる。
ところで「Juneboku」という名称があったとして「JuneBoku」や「JUNEBOKU」と表記されているのを見かけると、とても興味深い事象だな〜と思う。表記についてなにかしらの意識がありそうだけれど、それが間違った方向に働いているということ。表記なんてどうでもいいぜ、というわけではなさそうだが、結果的には、表記に対して粗雑な印象をもたらしたりもする。
そういう事象を見かけたとき「人間の脳において、なにが起こっているんだろう〜」と思う。興味のあるトピック。