「長く続いている」ことをどう捉えるか
よい面もあるし、よくない面もあるよね、というお話。
「老舗」「創業 明治〇〇年」「歴史のある」のように、長く続いていることをポジティブな文脈で捉える言説をちょくちょく見かける。 ぼくはそこまでポジティブには捉えられなくて、よい面があることは理解しているけれど、よくない面もけっこうあるよな〜と思うので、たとえばなにかを購入する際に「歴史ある企業がつくっている方を選ぼう」とはならない。自分はソフトウェア開発に関わっているから技術的負債について敏感になってしまっていて、歴史あるプロダクトや組織にはそれなりの負債や歴史的経緯があるものだ…と思ってしまっている、ということなのかもしれない。 ことさら「組織」においては、あまり長く続けない方がいいんじゃないか、とさえ思う。組織の腐敗の事例に見えてしまう不祥事の報道などを見たときに強くそう思う。 なんだったら、法人は「設立して 10 年間運営したら、強制的に解散となる」ってルールにしてもいいんじゃないかと思うまである。もちろん「つくってこわして」を繰り返していたら短期的な効率は落ちると思うんだけど、自浄作用を失って大きな問題を発生させるくらいなら、自然死する機能がシステムに組み込まれていた方がよさそうだなって。
ぼくが所属している企業が「はい、これで 10 年満期となったので解散です。おつかれさまでした!」となったとして。またいっしょにお仕事をしたいと思えるメンバーと新しい組織をつくったり既存の組織にいっしょにいったりするだろう。自分自身も、またいっしょにお仕事をしたいと思ってもらえるような日々を過ごそうとするだろう。それはそれで、悪くない日々に思えるのだ。
どこで見たかは忘れたけれど「結婚関係も、住居の賃貸のように更新制にしたらどうか」という主張を見かけてナルホドと思った覚えがある。定期的に「更新するか、ここで終わるか」を考えることになる。お互いにちゃんと「更新しましょう」と思えるような日々を過ごすの、とてもいい。「何年も我慢してきましたが、もう限界です」となるくらいなら、我慢なんかしないで早めに婚期満了にした方がいいと思う。
「次の 1 年もよろしくお願いします」と言って更新を続ける。夫婦にしても、チームにしても、そんな良好な関係の中で歳月を重ねたいものだ。そうでないのなら、長く続けるというそのこと自体にはデメリットもつきまとうのだから。