「自分は平気だから」という理由で家事をせず妻にも強制しないタイプの夫
自分はこれにあてはまる人間だろうな、と感じたので 2021-02-07 時点での自分の状態をメモしておこうと思った。 hr.icon
はじめに
まず、これを書くきっかけになった件のまとめは家庭の話であるが、ぼくは「自分がチームの一員であるとき」の話を書く。家庭においても職場においてもその他の場所においても、自分の基本的なスタンスは変わらないからだ。
では本題へ。要点は下記のようになるだろうか。
チームのキャパシティをこえたタスクを抱えないように努める
自分たちの負担を自分たちで増やさない
なんでもかんでも「平等」を目指すことはしない
チームの全員が気分よく過ごせる方法を探す
チームのキャパシティをこえたタスクを抱えないように努める
夫婦というチームで、各位のキャパシティが 100 だとするとチームの合計キャパシティは 200 になる。このチームで 200 をこえる大きさのタスクを抱えてしまうと、もう悪い状況に陥ってしまう。たとえば 250 のタスクを抱えてしまったら、分担を「125 : 125」にするのか「140 : 110」にするのかに違いはあるけれど、ふたりともキャパシティをこえてしまっている点では同じだ。
ぼくが思いやりをもって他者に接することができるのは余裕があるときだけなので、とにかくキャパシティをこえるものを抱えないように注意を払いながら過ごしている。
自分たちの負担を自分たちで増やさない
「こうあるべき」といった主張は世の中にあふれている。「ふつうは、こう」といった主張もあふれている。それらを闇雲に取り入れていくと、あっという間に負荷が増大し、キャパシティをこえる事態を引き起こしてしまう。
自分たちに必要のないものは無理に取り入れなくていい。自分たちが楽をするために、捨てるものは捨てて削れるものは削ってしまえばいい。まわりの情報は適切に取り入れつつ、最終的に自分たちがどのように過ごすかは自分たちで決める。特に、負担を増やすような選択には慎重になる。
我が家でいうと「別に自炊はしなくていい」という方針によって、食事の準備にかかる負担が増大しないように努めている。
なんでもかんでも「平等」を目指すことはしない
「平等」というのはとても聞こえのいい言葉で、魅力があると思う。しかし、一口に平等といってみても、それぞれが想定している状況が一致しているとは限らない。 これはぼくの経験則に過ぎないけれども、チーム内で「不平等だ!」と叫ばれるとき、本当の問題は不平等さではなくて単にキャパシティを超えてしまっているだけ、というケースもある。キャパシティ 100 の人が 110 のタスクを抱えているのなら、全員の負荷を 110% にして平等な状態を目指すよりも、その人のキャパシティにおさまるように割り当てタスクを減らすことの方が効果的な場合が多いと思う。 世に見る「わたしはこんなにがんばっているのに!」「こんなに苦労しているのに!」という言説において、ぼくはまずキャパシティの方に意識を向けるようにしている。チームの全員が負荷 110% というのはある意味で平等であるが、それよりも「自分の負荷は 80% です」「自分は 85% です」「自分は 79% です」という不平等だとしてもみんなに余裕がある、という状態の方が望ましいと考えている。まずは負荷を下げる、平等を目指すにしてもそのあと、という順番。
チームの全員が気分よく過ごせる方法を探す
前節までに「とにかく、チームのみんなに余裕がある状態を保ちたい」という旨のことを書いた。これを達成できるとようやく、プラスの要素に目が向く。より快適に、より気分よく、よりウキウキと過ごせるようになるとうれしい。
妻の「わたしは、自宅内がきれいな状態だと気分よく過ごせる」という性質は、家族内で共有された認識である。いっしょに暮らすようになった当初はわからなかったが、今ではぼくも理解しているし、尊重したいと思っている。2020 年は 毎週土曜日は自宅のお掃除 という運用を継続し、家庭として快適な状態を実現できた。ぼく個人の感覚でいえば、自宅のお掃除は毎週やらなくてもいいと思っている。汚れたり散らかったりしてもそれほど気にならない気質だからだ。ただ、チームメンバーが気分よく過ごせるってのは大事なことで、それに対してはモチベーションがあるので前向きに取り組めていると思う。 しかし、なにをするにしても多大なコストを払うようだと余裕を失ってしまうので、お掃除の頻度は「たとえば、週 1 だとどう?」のような会話を経て今の運用に落ち着いている。また、2020 年末に Eufy RoboVac L70 Hybrid を導入したことで人間のお掃除コストが減少したので、今では週に 2 回のお掃除を実施できている。コストパフォーマンスは常に気にしている。 個々の性質の話に終始させず、チームとしてどうふるまうかを話したい
さて、ようやくもとのお題である「自分は平気だからという理由で家事をせず妻にも強制しないタイプの夫」に戻ってこれた。このタイプの夫であろう自分から言いたいことを書く。実際のところ、ぼくは家事をまったくやらないわけではないので論点はズレるかもしれないけれど。
チームはさまざまなメンバーで構成されるので、そこにはいろんな気質の人がいるだろう。こまめにお掃除をしたい人がいれば、しなくても平気な人もいる。毎日 3 食きっちり食べたい人がいれば、1 食で平気な人もいる。資産運用をやっていきたい人、そうじゃない人。自動化・効率化に積極的な人、手作業が好きな人。規則正しい生活をしたい人、その日の気分で過ごし方を選びたい人。自分の基準を相手とも共有したい人、別々でよい人。
どんな人のどんな性質も、まずは尊重されてほしいと思う。ぼくは尊重されたいと願っているし、だから相手のことも尊重したい。各位の個性を尊重しながら、キャパシティに余裕を持たせて、全員が快適な状態を実現できたら最高だと思う。
ぼくの (妻と比べて相対的に) 「汚れていても平気」という性質は、一人暮らしのときには「頻繁に掃除をしない」という生活につながっていた。今の家庭生活においては「汚れているものを扱うのが苦じゃない」という側面を活かして、トイレや浴室の排水溝をきれいにする担当として活躍できている。妻はぼくよりもきれい好きで、トイレや排水溝のお掃除があまり好きではないのだ。
ぼく個人はお掃除に対して前のめりではないけれど、妻より身長があるので高いところのお掃除はうまくやれる。テクノロジに対する好奇心が強いので、ロボット掃除機を調べて選ぶのはぼくが担当した。妻よりは筋力があるのでゴシゴシと磨く作業は少しうまくやれる。 個々人の性質がどうであれ、チームでうまくやれるかは「チームでうまくやろうとする意思があるか」「それを実現するスキルがあるか」にかかっていると思う。ぼくは、ぼくが関わるすべてのチームでチーム・マスタリーを目指している。自分たちの問題を自分たちで解決できるチームは強いし、なにより楽しい。 「家事に積極的かどうか」と「チームでうまくやれるか」は別の話
家事に積極的だからといって、家庭というチームでうまくやれるとは限らない。家事に重きを置くばかりに、家族に多大な負担を強いてしまうケースはあり得る。「家事をしない」というその属性だけをつかまえてなにかを論じようとする態度には共感しない。
もちろんこれは、家事をそんなに重視しないながらもチームとしてはうまくやっていきたい、ぼくのポジショントークである。
hr.icon
…と、ここまでえらそうに書いたが、今日までにたくさんの失敗を重ねてきた。家事に関する不満を妻からフィードバックしてもらったことは何度もある。どのチームにおいても、うまくやれていないことが山ほどある。それでも、うまくやろうとする意思は捨てていないし、行動を変え続けてこれたとは思う。ぼくと同じチームで活動する人には迷惑をかけまくっているけれど、よりよいチームを目指す姿勢は示し続けたい。