「弟子入り」に魅力を感じているかもしれない
小学校でのボランディア活動では、その小学校についてほとんどなにも知らないぼくが登校して、そこに通う児童たちにいろんなことを教えてもらっている。いちおう授業中に質問されるような初等教育な内容については一通り回答できているとは思うけれど、長野県松本市のことであるとか、児童たちの間で流行っていることとか、とにかく教わることがたくさんある。 ぼくの気の持ち方が自然と「教わりに行く」になり、そういうスタンスで過ごしていると、児童たちもだんだんと「こいつはなにもわかっていない」「こいつにはいろいろと教えてやらなきゃいかん」というモードになってきて、ますます多くを教えてもらえるようになる。ぼくにとってはありがたい関係性。
わりと歴史の浅いソフトウェア業界に軸足を置いていることもあり、40 歳ともなると中堅からベテランくらいの扱いを受けることが多くなり、20 代のころのように黙っていてもまわりが次々になにかを教えてくれるという状況ではなくなってくる。学びのチャンスは自ら獲得しにいかなきゃな、と思う。
なので、お仕事の現場とは雰囲気がちがう小学校で、弟子のような扱いで学校の先輩たちに面倒を見てもらえているのは、ありがたい状況だと感じている。弟子入りしているような感覚があるな、と捉えるに至った。実際、先輩たちのカバンを持たせてもらうこともあるからね、カバン持ちをやっている。 また、最近になってパーソナル・ジムに通うようになり、身体の動かし方を基本的なことから順番に教えてもらっている。自分は自分の身体についてなにもわかっていないな、と気付かされる。ここでもまた「なにもわかりません!」という立場になるので弟子入り感があり、汗だくになりながら指示されたメニューをこなし、持たざる者としての心地よさを感じている。 こういう、自分が相対的に「無知」「無力」の側に立つような場に行くと、新鮮な発見があっておもしろい。これはつまり、慣れ親しんだ場ではそのような感触を得にくくなっているということだな。大事な視点ではないか。
これから 40 代、50 代、60 代…の人生が続いていくことを考えると、新しくなにかを習い始めるとか、そういった機会を意識的に取り入れて、教えを受けることのすばらしさを忘れないように生きていきたいと思う。