「労う」と「楽にする」
人々がなにかしらのタスクをこなしながら過ごしているような現場での話。「労う」と「楽にする」をバランスよく実践できている現場は雰囲気がいい気がする。
イメージしやすいように「たくさんの荷物を運ぶ」をタスクとしてみようか。
誰かがたくさんの荷物を運び終えたときに「いや〜、大変だったでしょ!」「おつかれさま」「ありがとうね」のように声をかける「労い」があると思う。「おいしいものを食べさせる」みたいなデリシャスな労いもあるよね。
それとは別に「次から、運ぶ荷物の量を減らせませんかね?」「これって運ばなきゃいけないんでしたっけ?」と場に問いかけて、タスクを楽にする向きの関わりもある。
ぼくは「改善大好き人間」という趣で「楽にする」とか「仕組み化する」「整理する」「廃止する」とか、そういうことにはすぐ目が向いてアクションを起こせる一方で、労いモチベーションは低い感じがする。
労い成分しかない現場だと、荷物を運んだ人をめちゃくちゃ労うがこれからもずっと荷物を運ばせ続けるので、それはそれで持続可能性に難があると思う。
なので、なにかたいへんなタスクが発生する現場では「労う」と「楽にする」のバランスを見て関わっていきたい。
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似た話では「謝る」と「再発防止の手を打つ」のバランスもありそう。
めちゃくちゃ申し訳なさそうに頭を下げて謝罪の言葉を述べるが「気をつけます」しか言わない、とか。
まったく悪びれるそびれもなく「これでもう発生しませんので」と述べる、とか。
現場の未来をいい感じにする選択をしたいとき、自分の言動の成分を気にしてみるといいかもしれない。