◯◯が苦手
というお話を友人や知人や同僚などから聞かせてもらうとき、なるべくニュートラルに聞こうと思って最初から鵜呑みにしないことにしている。慎重にお話を聞いていると、 そもそも◯◯をほとんどやったことがない
本人は〇〇が苦手というけれど、ぼくから見るとそうは見えない
ってこともちょいちょいあるので、先入観で「わたしは〇〇が苦手」という前提を強く持ちすぎるのも考えものだなあ、と思う。「苦手!!!」と思い続けることで本当に苦手になってしまうこともあるだろう。
「そもそも◯◯をほとんどやったことがない」ケースでは、まずはやってみるのもアリ。たとえばぼくは小説を書いたことがないんだけど、これでぼくが「小説を書くの、苦手なんだよね」と言っていたら、苦手かどうかもわからないくらいただただ未経験じゃん、って感想になると思う。やったことがない、だからスキルがゼロ、みたいな状況で「苦手」というラベルを持ち出すのは適切ではない。「スキルがゼロ」と思っておけばよさそう。訓練を積んでいなくてうまくできないのは当然で、うまくできちゃう方が例外だから、経験も訓練もなしに「苦手」というのはちょっとズレているのではないか。
「本人は〇〇が苦手というけれど、ぼくから見るとそうは見えない」ケースもある。そんなときにいう「わたしは◯◯が苦手」は、いくらか照れ隠しのような雰囲気を帯びる。まずぼくは反例になりそうなものを見つけてきて「実際にこういうこともやっていますよね」「苦手な人はここまでできないのでは?」「ぼくからは、平均よりうまくやっているように見えています」と伝えてみる。たったこれだけのことで「そっか、自分は苦手じゃなかったのか」と認識が変わる場合もある。そんな劇的に変わらなかった場合でも「そっか、じゃあもっとこういうこともやってみようかな」と話が前向きに展開することもあるので、あえて「苦手じゃない」という方向で試しに話してみるのはおもしろいな〜と思う。 本人が「苦手だ」と言っているものが、実態は「苦手意識がある」だけで、言うほど苦手じゃないこともある。苦手意識に縛られて行動が矮小化するのはもったいない。今回はそんなお話。 …と、ここまで書いてきて、このページで扱っている「苦手」はスキルに根ざしたものだと気付く。スキルの有無や習熟度の高低が「苦手意識につながる」ケースがあるのだった。スキルどうこうじゃない「価値観」「味」なんかに対する苦手であれば、ぼくもすんなり受け入れることがほとんど。