合理的調整
作家としてここは『言葉』について語ります。『合理的配慮』という訳はほとんど誤訳と言ってよく、今からでも『合理的調整』とするべきだと考えています。例えば『rights』は『権利』ではなく『権理(権理通義)』(by福沢諭吉)と訳すべきだった、つまり『利』という字のネガティブな印象のせいで人権を理解できない国民になってしまったという話もあるように、こうした言葉の誤選択は国民の精神性に悪影響を及ぼし尾を引いたりするので、私は意地でも『合理的調整』と書いていこうと思います
元々は英語の「reasonable accommodation」。障害者権利条約の外務省翻訳で今の訳語が定着したが、専門家や当事者からは合理的「調整」などと訳すべきだとの指摘もされてきた。
「配慮」は、どちらかがどちらかに対して行う指向性の強い行為かも。
「調整」は、関係する両者の間で行う双方向性の強い行為で、歩み寄りって感じがするな。 もちろん「お互いに配慮し合う」という双方向の関係は成立する。矢印が相手に向かっているのか。
調整の方は「お互いの間にあるコレを調整する」って感じで、矢印がコトに向かっているのかも。
配慮した上で調整する、ってこともあるだろうから、別に背反する概念ではないね。
「Reasonable Accommodation」を「合理的調整」と訳すことが望ましいとされる理由はいくつかの観点から説明できます。
1.ニュアンスの違い:
「配慮」という言葉は、一般的に他人への思いやりや気遣いを意味することが多いです。一方で「調整」は、具体的な行動や変更を意味することが多いため、実際の変更や対応を強調する場合に適しています。
2.法的・制度的な明確さ:
「合理的調整」という表現は、法律や制度において具体的な変更や調整を伴う行為を指す際に、より明確な印象を与えます。これにより、企業や組織が具体的な行動を取る必要性が強調されるため、実効性が高まる可能性があります。
3.実務的な観点:
実際の現場で必要とされるのは具体的な調整や対応です。「調整」という言葉は、職場環境の変更や教育環境の調整など、実際に行われる具体的な対応をイメージしやすくします。
4.国際的な用語との整合性:
英語の “accommodation” は、単なる配慮ではなく具体的な変更や適応を意味します。これを「調整」と訳すことで、国際的な標準や理解との整合性が保たれます。
5.利用者の権利の強調:
「調整」という言葉は、障害を持つ人が持つ権利としての側面を強調するのに適しています。単なる「配慮」ではなく、正当な権利としての具体的な調整が求められていることが明確になります。
以上の理由から、「合理的調整」という訳が「合理的配慮」よりも適していると考えられます。
「合理的配慮」が「合理的調整」よりも適していると主張する場合の論理は、以下のような点に基づいています。
1.柔軟性の強調:
「配慮」という言葉は、個々の状況に応じた柔軟な対応を含む広い概念を持っています。特に一律の変更が難しい場合、個々のニーズに合わせた柔軟な対応を示すのに適しています。
2.文化的なニュアンス:
日本語における「配慮」は、思いやりや気遣いの意味合いが強く、他者を尊重し、個々の事情に寄り添う態度を示す言葉として受け取られます。これにより、相手の立場に立った優しい対応が求められていることが強調されます。
3.包括的な意味合い:
「配慮」は、具体的な物理的・制度的な調整だけでなく、精神的なサポートや理解の促進など、幅広い支援を含む概念です。したがって、単に環境や制度の変更だけでなく、社会全体の意識変革を促す意味も含まれることになります。
4.法的枠組みの広がり:
「配慮」という表現は、特定の法律や規制に縛られず、より広範なコンテクストでの対応を含むことができます。これにより、法的拘束力のある調整だけでなく、社会的な善意や自主的な取り組みも含まれることが強調されます。
5.調整の限界に対する理解:
具体的な「調整」が難しい場合や、過度な負担が生じる場合にも、「配慮」という表現は、可能な範囲での最善の対応を含意するため、現実的な制約を考慮した対応を促すことができます。
これらの観点から、「合理的配慮」という表現は、幅広い対応を含む柔軟で包括的なアプローチを示しやすいと考えられます。
自分としてはリーダーシップとマネジメントな捉え方も思い出した。リーダーシップで開拓して、マネジメントで定着させる。誰か心ある人の「配慮」によってなにかが始まって、そういった配慮がなくなっても大丈夫なように「調整」で安定させる。これは悪くないことのように思える。「配慮に頼り続ける」のは、持続可能じゃないってことかもね。