傷つけ行為に慣れすぎている
ジョークのつもりだったのに、その場にいる全員にドン引きされてしまった。その中の一人が心配そうに「あなた、加害されすぎて、少し変になってるんじゃないか」と指摘された。「えっ、加害ってほどでもないと思う。愛あるイジりっていうか……」と、モゴモゴ言ったら、「本当に?」と見つめられた。
全く傷ついていないかと言ったら、ちゃんと傷ついているのである。それにやっと気づいて、私は動揺した。
自分に向けられた加害を内面化しない―料理と食を通して日常を考察するエッセイ「とりあえずお湯わかせ」柚木麻子|本がひらく
柚木麻子さんのエッセイを読んで、以前から感じていたことをあらためて書き記しておこうと思った。また、hmsk のエッセイも思い起こしたのでこれもリンクしておこう。
当たり前のように「ひとの気持ちを考えましょう」みたいなのが根底にはあるはずなのに、ウェブで何かを発せば必ず誰かが傷つくことには諦めがついている気がする。誰かが傷つくものだと思ってしまっているから、その延長で、誰かが誰かをまっすぐに傷つけていることにすら鈍感。
85: 分からんちん | text.hmsk.me
そうなんだよな。誰かが誰かを傷つけているシーンが当たり前にあふれているもんだから、だんだんとそれに慣れてきてしまって、また、自衛として、事前に「そういうもの」と思って備えることでダメージを最小化しようとする心の動きもあるだろう。
しかし、たまにこうしてハッとして意識を取り戻して「これって、危ないことだよな」と思い直す。まずは、もし自分が傷つくようなことがあったら「自分は傷ついた」と自覚して、それを言葉にすることからやっていく。