ひとつのものに複数の期待を乗せるときは、それを認識しておけるとよい
ところでセルフ・レジの話をしていくと、「人と人とのコミュニケーションも大事」といった主張でこうした「無人化」の取り組みに対する反対意見を見聞きすることがある。 ぼくのスタンスは「無人化や省力化は進めた方がよい」かつ「コミュニケーションは大事」なので、無人化は進めつつコミュニケーションを増やせばいい、というか、もっといえば「人間を仕事から解放してもっと雑談したり歌ったり踊ったりしよう」と思っている。 「小売店における決済機能」と「対人のコミュニケーション」を別々に捉えると、それぞれ独立に「いい感じ」にしていけるはず。これらを一体のものとして捉えるってのは「レジに "決済" と "コミュニケーション" という複数の期待」を寄せているってこと。それ自体を悪いことだとは思わないが、そう期待しているのならばそう認識しておけるとよいだろう。レジを担当する店員が「決済機能です」というつもりでレジに立っているところに「コミュニケーションを期待しています」という客がやってきたらミスマッチが起こる。
コミュニケーションを期待している人は「自分はコミュニケーションを期待しています」と自覚した上で、コミュニケーションのための場に足を運ぶとハッピーだと思う。
種々のミーティングにも、複数の期待が寄せられがちと思う。「意思決定のための場」であると同時に、暗に「チーミングの効能」が期待されていたりもする。前者だけを捉えている人は「わざわざ集まる必要ありますか?」「ドキュメントで非同期に進めましょう」と言うかもしれない。後者の期待もあるから時間を合わせて集まりましょう、ということなら参加者たちはその認識を揃えておけるとよい。 あるもの X が A B C … と複数の効能を持っているとき。関わる人たちが A の効能しか認識できていないと「もう A は必要ないので」「今なら A は別の方法で満たせるので」と X を廃止してしまうかもしれない。そうして初めて B や C といった別の効能があったと気付く。これはつらい。ある対象にどんなことが期待され、どんな効能を有しているのか。実態を把握しておきたいものである。
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