自分の中の自己肯定の地盤はどのようにしてつくられたのか
https://open.spotify.com/episode/2G2Iyrltmf62BCNnQ7wop2
https://open.spotify.com/episode/0puOiCrTJKPYD23W5DmgWV
「助ける人 と 助けられる人」という単方向的な関係ではなくて、関わり合う中で「お互いに助かっている」ということが人間社会においてよくあると思う。
ところで、ぼくは自分の中にたしかな「自己肯定」があると捉えている。「自己肯定感」と呼ばれるふわっとしたものというよりは、明確な意思とともにある「自己肯定」というラベルの方がしっくりくる。自分はこの世界に存在していいのだ、と心から思えている。 幼少期に褒められまくったかというと、そうでもないはず。少なくとも「たくさん褒められた」というような記憶は持ち合わせていない。幼少期のぼくは泣き虫で、人見知りが激しくて、臆病で、引っ込みがちで、もし今のぼくが当時のぼくを育てる担当だとしたら、けっこう手を焼くと思う。もしかしたら両親はしっかりと褒めてくれていたのかもしれないけれど、褒められまくって育ったという印象は持っていない。
じゃあ、いかにしてこの自己肯定の地盤をつくったかと考えてみると、たぶんだけれど妹と弟の存在が大きかったんじゃないかと思う。幼少期の妹と弟はケンカをすることが多く、ふたりでケンカをして、両成敗でふたりとも怒られて父親から部屋を追い出されたりするとき、それを守るのがぼくの役割だった。寝室を追い出されたふたりが泣きながらぼくの一人部屋に逃げ込んできて、ぼくのお布団に入って 3 人で川の字になって寝るような夜もあった。最初は泣きべそをかいている妹と弟が、川の字という非日常にだんだんとワクワクしてきて笑い始めてしまって「ほら、もう寝るよ」となだめたこともあったと思う。 一見するとぼくが妹と弟を助けているように思えるかもしれないが、その逆もあって、ふたりのおかげで自分に兄としての役割や居場所が与えられたようにも感じられる。そういった日々を経て「自分には、やれることがある」という自覚を育てていったのではないか。あの日々から 30 年以上が経って、今ではそのような仮説を持っている。 https://gyazo.com/b12699edb8ade7d08b0e33409a14376a
「迷惑をかけてはいけない」といった言説がある。部分的にはそうだと思う。自分も、あまり周囲に迷惑をかけずにいられたらいいな、とは思っている。ただ、過剰に迷惑をおそれて、他者と関わることを避け続けるのはデメリットが大きいと思う。どうせ生きているだけで迷惑はかかるんだし、それは程度の問題で、お互いに迷惑を交換しながら支え合って生きていく方がスマートだと思っている。「自己責任!」「自助!」を突き詰めすぎた社会は破綻に向かうのではないか。 無病息災より一病息災という感じで、無迷惑より小迷惑を目指して寛容さとともに他者と関わっていきたいと思う。関わり合いの中で、自己肯定の気持ちが育っていくのだから。迷惑をかけていると思うけれど、それでもいっしょにいてくれる周囲の人々には感謝している。 ----