自分の中の悪玉が顔を出さないように
僕という人間は、ハードウェア的にはそういうクズで、ソフトウェアエミュレーションで社会性を保っている。という自己認識でいる。
自分はどうだろう、と考えてみると。残念ながらぼくには「こういう言動はよくない」「こういう言動はダサい」と自分が感じるような言動を繰り出す素養があるのだよなあ。
こういうことを考えると、いつも思い出すのは小学生のときのエピソード。たしか夏休みに倶知安町のおばあちゃんの家に滞在する期間があり、そんで父親は仕事で別行動になったんだっけな、滞在の序盤で「おばあちゃんの家にいる間に、夏休みの宿題を終わらせようぜ!」と父親が提案してくれて、ぼくはなにも考えずに「うん!」と答えたのだけれど、結局ぜんぜんやらずに滞在終了日を迎えてしまって、父親との約束をないがしろにした。怒られて泣いた覚えがあって、ディテールは忘れちゃっているんだけど、なんとなくこの出来事はずっと記憶の中にあって、当時の自分の能力の低さにびっくりするというか、実現可能性をまともに考えられない状態で約束をするなんて不用意だよねえ。 「その場の流れで相手がよろこびそうなことを言っちゃう」とか「苦し紛れにその場しのぎの嘘をついちゃう」とか、心の弱さがもたらすダサ・ムーブが自分から出てくることを知っているので、なるべくなら出さずに生きていけたらいいな…という気持ちでいる。
他者に対する攻撃性は内包していないと自分では思うけれど、どうだろうか。保身系の弱さはあると思う。デスゲームに参加することになったら醜い姿が出そうだなあ。 今年 40 歳になったぼくは、それなりに経験も積んできて、近年はダサ・ムーブの飛び出しを抑制できている気がする。とにかく「余裕を失わないこと」これに尽きる。精神的、時間的、経済的、さまざまな余裕がなくなったら、自分からはたくさんのダサ・ムーブが出てくるだろうと思う。追い詰められてダサい台詞を吐きまくるキャラなんかを見ていると「きっと自分もこの状況ならこうなるよなあ…」と思ったりする。