自分だけが丁重に扱われてもうれしくない
って感覚があるような気がするので、書いてみる。
自分がホテルを利用するとして、高級なホテルだとスタッフの人がぼくの代わりに荷物を運んでくれたりするイメージがあるけど、そういうときに「自分でやるんで大丈夫です、お気遣いどうもです〜」と遠慮したくなってしまう。もちろん「労力をかけるの大好き人間」ってわけではないので、エレベータやエスカレータがあれば階段を登らずにそっちを使う。 エレベータやエスカレータは、みんなが便利になるのがよい。便利の民主化。ぼくは「便利なものや、快適な体験は、民主化されてほしい」と思っているのかもしれない。 お店を利用するとして、店員さんに特別な接客を期待していない。「お客様だけに、特別なご提案が」とか言われてもうれしさよりくすぐったさが大きい。でも、店内の導線が整っていたり、フロアガイドがわかりやすかったり、出来のよい会計のシステムがあったりするとうれしい。よく練られた体験は多くの人に恩恵をもたらすけれど、特別な接客みたいなやつは一部の人しか利得を得られなくて、そういう構造が好きじゃないんだと思う。
最近は、コンビニで売られている煙草には番号が振られていて、客はレジで店員に番号を伝えて所望の煙草を購入するのが一般的だと思う。それでも銘柄で注文する客ってのがいて、店員さんが煙草の銘柄に詳しくなくて「番号でお願いします」と頼んだときに客が怒る、って話がある。ところで、煙草の自動販売機を相手に怒る人はそんなにいないはず。 お店に人間というインターフェイスを配置すると、柔軟な対応を期待したり「自分の方が上」と勘違いして高圧的な態度を取ったりする客が出現する。そういう人は、自分が特別扱いされるとうれしいってことなのだろうか。自分にはよくわからない。 自動販売機のように、無人タクシーとか、無人飲食店とか、無人コンビニとか、人間というインターフェイスを取り払ったサービスが普及していくといいなぁと思う。人間との接点を減らして誰とも関わりたくない、というわけではなくて、勘違いを助長するような人間同士の接点を減らしていきたい考え。「店員と客」のような非対称な関係性がよくないと思う。友だち同士のような関係性であれば傍若無人な態度を取るケースは稀なわけだから、そんなふうに、お互いを尊重しあえるような間柄が増えてほしい。 ぼくの体験だけがよくなっても仕方ないので、みんなの体験がよくなるような設計に労力が使われてほしい。勘違いを助長させるようなコミュニケーションが好みではないので、上下のような関係性を演出しないでほしい。自分のことは自分でやるよ。