経済的価値とは別の価値に手を伸ばしていく
COTEN RADIO の番外編で紹介されたコミュニティナースのお話がとてもおもしろくて、前編・中編・後編と 3 つの動画を食い入るように観た。矢田明子さんのことはウォッチしていくぞい。
コミュニティナースというそのものずばりの書名の書籍が Kindle でも買えるので、読んでみるのもいいかも。
コミュニティナース
https://www.amazon.co.jp/dp/B07SS6N9YC
前編 : コミュニティナースの紹介
中編 : 矢田明子さんが今に至るまで
後編 : コミュニティナースのこれから、ポスト資本主義
動画の内容はざっくりとこんな感じの目次にできると思う。ほんで、後編で語られていたポスト資本主義っぽいトピックがけっこうガツンときて、こうしてページを起こしてだばだばと文字を打ち込むことになっている。
https://www.youtube.com/watch?v=x84wa1Egi0I
おもに深井龍之介さんが語っていたこと
人間は、コンセンサスのコストが高いものを避けたがる
「個人 < 企業 < 行政」というコンセンサス・コストの大小関係がある
ので、まずは個人の意思決定から変わっていき、そこから社会全体に波及していく
「株式会社は、お金になることばかりを追い求めていればオッケー」という時代の終焉、という未来予想
コンセンサスの前提がもう変わってしまっている
経済的価値とは別の軸の価値に重きを置くプレイヤーは増えてきている?
ひるがえって、今年 2023 年の自分の過ごしてきた時間をふりかえってみると、身体で感じる価値を信じるや「主観」や「再現しないもの」に着目していくなんてページをつくってああだこうだと書いている通り、直近 15 年くらいの自分が価値観の中心に置いていた資本主義的なロジックとは別のことをよく考えるようになっている。次の 15 年は、ここまでの 15 年とはだいぶ異なる価値観で生きていくことになるかもな、と予感している。
ぼくの場合は「少なくとも 2020 年代前半は、ソフトウェア開発という営みはけっこう稼げる」という前提があるおかげで、今のような生活が実現している。週の大半をみっちり働く時間に当てなくても生計が立つ、という前提はとても大きい。
小学校でのボランディア活動には大きな意義を感じていて、今後もこの手の活動に一定の時間を捧げたい意向がある。ただ、やってみてわかったこともいくつかあって、まずは、自分にとって「フルタイムの教員になる」は魅力的な選択肢ではないということ。児童たちと過ごす時間は楽しくてやりがいも感じるけれど、週あたりの労働時間とそこから得られる稼ぎなどなどを勘案したときに、そっちの道には進めないよなあ、と強く思う。そっちに行っちゃうと、トータルでのぼくの社会への貢献度は下がるだろう。
今くらいの、小学校から見たときに「プラスアルファのリソース」としてなんかいてくれてラッキー、な関わり方が今のところよさそうと思う。稼ぐのは別のところでやって、稼ぐ目的じゃなく「意義がある」と思って関わるってことね。
小学校でのボランディア活動ね、ぼくのまわりのいろんな人に体験してみてもらいたいおすすめのアクティビティだけれど、まあ、実際にやる人はあんまり増えないだろうなってのも感じている。なかなか成立しないよね。
ぼくはぼく個人として「週に 8 時間を 5 日間」よりも少ないリソースで労働をまわす判断をしているけれど、これだと「個人の選択」の域は出ない。もうちょっと、周囲を巻き込んだ「ムーブメント」にしていこうと思ったら、どんなことができるだろうか…?教育のような「社会の未来にとって、もちろん大事なこと」の領域にもっと多くのリソースが集まるような状況を目指すとしたら、ぼくは個人をこえてなにをしていったらいいだろうか?
オープンソースソフトウェアのコミュニティなんかは、全体でみればわりと「相互扶助」「持ちつ持たれつ」が成立しているようには見える。もちろん、個別に見れば「特定個人への依存」「善意への依存」等の問題はあって、ちょくちょくトラブルが起きているのも知っている。うまくいっていることもそうじゃないことも、ヒントはたくさんありそうね。
そんなことを考えながら ポートフォリオ・プレイヤーへの道 2023 を書いてみたりもして、やっぱり、自分のキャリアやポートフォリオをを考えるときにはお仕事以外のことも積極的に組み入れていきたいね。
コミュニティナースの矢田明子さんが示してくれているような「社会にとって、そりゃあそっちがいいよね」と感覚的に理解できる方向に、ぼくも漕ぎ出していきたい。
そういうテーマで 2024 年の自分の活動方針を見つけていきたい。