物語を解釈するエネルギーが枯渇気味かもしれない
数週間前に yoshiori さんとおしゃべりしたときに、自分は「いまビデオゲームに手を出してしまうと、延々と時間を使ってしまいそうで怖い」的なことを言っていた。 https://open.spotify.com/episode/02Rh6hqt2gnQnDfUV3hXRR
ところで、2023 年はあまり漫画読みが捗っていなくて、こっちはこっちで「なんでだろ〜」とほんのり思いながら過ごしていた。
2023-07-02 にふと思い浮かんだのが表題の仮説。貴重なリソースになっているのは「時間」ではなくて「物語を解釈するエネルギー」かもしれない? 遊べているビデオゲームは「物語」をほとんど伴わないやつで、ゲームルールに則って 1 プレイずつをこなしていくやつ。頭を使わないことはないのだけれど、物語解釈に頭を使うことはない。ぼくが手を出せずにいるのは壮大な物語を体験するやつかもな〜と思った。また、漫画を読むには物語解釈エネルギーを要するので、これが枯渇していたら体力や時間があっても捗らないということになる。 2023 年の自分は、なぜそのような状況にあるのか。自分の人生という物語の中を生きているというか、もっとありていな言い方をすれば、自分探しをしているというか。過去や未来に想いを馳せては「自分のこういうところは、そういえば昔から変わっていないなあ」なんてことをよく考えている。実はこれが、物語解釈エネルギーをたくさん使っているのかもしれない。 逆に、日常が「単調な作業」で埋め尽くされるようなことがあれば、持て余した物語解釈エネルギーが、余暇において映画や演劇や漫画を消費することに向かうのかもしれないね。