父親の工具箱
子どもの頃、おもに父親が管理している工具箱が好きだった。今も札幌の実家にはあるはず。 中には「ドライバー」「ハンマー」「ニッパー」「レンチ」「ネジ」「ナット」「ボルト」などなどホームセンターの工具コーナーに売っているようなものがあれこれ入っていて、家具や家電製品をちょいとメンテナンスするには困らないくらいには充実していた。自分も大人になったらこういう工具箱を持ちたいと思ったものだった。
六角レンチは初見では使い道がわからなくて「???」という感じだったのだけれど、小学校の教室にある教壇に六角形の穴を見つけて「!!!」となったときの衝撃はなんとなく覚えている。脱出ゲームみたい。翌日、ぼくは父親の工具箱から拝借した六角レンチを学校に持っていき、見事に教壇をバラバラにした。『グラップラー刃牙』に出てきたローランド・イスタスみたいなエピソード。ジョイントアレルギー。 思えば、自分が小学生のときにはすでに工学系に続く道がうっすらと見えていたのかもしれない。組み立てたりバラしたりするのが大好きだった。レゴも大好きだった。ビルドとスクラップ。作っては壊す。それを繰り返す。構造を理解するのが好きだった。構造を考えるのが好きだった。
先日、自宅の片付けをしていて「自分は大人と見られる年齢になったけれど、そういえば工具箱を所持していないな」と気が付いた。そうしてこのエッセイを書くに至っている。その代わりといえるかもしれないのがケーブルボックスだ。
https://gyazo.com/feb3f837c1f9c015d87ec35fd2f61343
「USB Type-A」「USB Type-B」「USB Type-C」「Mini USB Type-B」「micro USB Type-B」「HDMI」「Lightning」「DisplayPort」のインターフェイスを持ったケーブルの他、電源ケーブルやあまり詳しくない各種オーディオケーブルなどなどが入っている。
今のぼくが組み立てたり壊したりするのは、もっぱらソフトウェアだ。父親の工具箱に相当するのは、物理的なケーブルボックスではなくて、さまざまなアプリケーションの設定ファイル置き場になっている .dotfiles なのかもしれない。