新しい言葉が生まれ、意味がしっかりと固まる前に広まりすぎて発散する
インターネット以前であれば、新しい概念と言葉が生まれてそれが広く知られるようになるまでにはそれなりの年月を要したので、徐々に徐々に広がっていく過程で「こういう意味である」「こういう意味ではない」が精査されたのではないか。ある程度まで磨かれて洗練されて結晶化してから社会に広がっていくと考えると、意味がぶれにくかったと想像している。意味がぶれていくにしても、そこに年月があった。
対して令和の世においては、荒削りな状態で一気に広がってしまって、解釈の幅も広いもんだから「こういう意味で使われる」「別の意味でも使われる」「こういう用法もある」となって、結果的に、きめ細やかな意思疎通には使いにくくなってしまうだろう。ノリを共有するくらいの用途なら便利に活用できると思うが、まともな議論の場では使い物にならない状態に陥りがちと感じている。
そんなことを思うもんだから、しっかりとなにかを論じようと考えれば考えるほど、平易な言葉の組み合わせで、流行り言葉やバズワードを用いず、過剰な装飾表現も避けるような、そんな淡々とした文に着地していく。