文章を読めなくても生きていける世界
ところで、縄文時代を生きた人々は文章を読まなかったと思うんだけど、別にふつうに暮らして生きていたんだよなあ。社会において大多数の人間が文章を読むことを期待されるのは、わりと近年のことなのでは?と思う。 もちろん、その「触って」という中には識字能力を求められることは多々あるが、事前に長大な文章を読むことはない。もっと場当たり的に、なにか実現したいことがあったときに「どうすれば…?」とウェブ検索して方法を見つけるだけでよい。スクリーンショット付きでわかりやすく教えてくれる記事はたくさんある。やはり長文を読まずともやっていける。
今後も世の中のデザイナさんたちががんばって「直感的に操作できるもの」が増えていけば、ますます長文を読む必要はなくなっていくのではないか。そしてそれは、必ずしも悪いことではないようにも思える。
ただ、そのような「デザイン」を担当する人には高度に言語を操る能力が備わっていて、提供する人々と提供される人々に二極化して断絶や格差を生み出してしまうのだとしたら、たしかにそれは問題かもしれない。
昔も今も、文章を読めなくてもけっこう生きていけると思う。そうした意味では世界はやさしいと言えるだろう。ただ、いい感じにうまいこと生きていきたいと考えるのであれば、文章を読み書きできると有利になる面はたくさんあるだろう。