文化資本ってなんだっけ
文化資本(英語: cultural capital、フランス語: le capital culturel)とは、社会学における学術用語(概念)の一つであり、金銭によるもの以外の、学歴や文化的素養といった個人的資産を指す。フランスの社会学者ピエール・ブルデューによって提唱されて以来、現在に至るまで幅広い支持を受けている。社会階層間の流動性を高める上では、単なる経済支援よりも重視しなければならない場合もある。
「金銭以外の資産」みたいな意味で持ち出される言葉、って感じかね。
文化資本という言葉が最初に用いられたのは、1973年に発表された『Cultural Reproduction and Social Reproduction』(ジャン=クロード・パスロン(英語版) との共著)の中である。この中でブルデューは、1960年代のフランスにおける学童らの成績の違いを説明しようと試みている。以降、この研究はより緻密な検証によって発展を見せることになるが、まずは文化資本以外の形態を取る資本(経済資本や社会関係資本など)についての検証が先行(『The (three) Forms of Capital』(1986年))し、次いで高等教育(すなわち文化資本)が研究対象となっている(一例として『The State Nobility』(1996年))。
ブルデューの定義上、資本とは「交換が成立するシステム内において社会的関係として機能するもの」であり、それは「物質あるいは非物質といった区別なく、特定の社会的な枠組みにおいて追求する価値と希少性があることを示すもの」であれば、何であっても構わない。以上を踏まえて、文化資本は「資本として機能するものの中で、蓄積することで所有者に権力や社会的地位を与える文化的教養に類するもの」と定義される。
ブルデューは、文化資本の概念を次の3つの形態に整理している:
1. 客体化された形態の文化資本 (Objectified state)
絵画、ピアノなどの楽器、本、骨董品、蔵書等、客体化した形で存在する文化的財
2. 制度化された形態の文化資本 (Institutionalized state)
学歴、各種「教育資格」、免状など、制度が保証した形態の文化資本
3. 身体化された形態の文化資本 (embodied state)
ハビトゥス; 慣習行動を生み出す諸性向、言語の使い方、振る舞い方、センス、美的性向など。
ブルデューのこうした「構造化された構造」としての文化資本概念に対して、文化経済学の側から、「構造化する構造」としての資本の働きが、企業活動や地域創生においてなされているという考察が日本では進められている。
こうしてあらためて見てみると「都会は文化資本が多い」的な言説は、慎重に解釈した方がよいと思える。観劇などを通じて磨かれる感性というものはあるとぼくも思うが、海山川といった自然の中で磨かれる感性もまた存在すると思う。 「どんな場所に身を置いていても、そこからなにかしらを学び取れる」という状態にある人は、いい文化資本を有していそう。 これも資本主義の影響が大きいからかもしれないけれど「金を払えば手に入るもの」に重きを置きすぎというか、そういうものばっかりに意識が向きがちなのではないか?