情報の流通と体感距離
このように、広く利用されている「情報の流通の仕組み」を活用することで、ぼくの日常に新着情報を組み込んでいく。日常に組み込まれた情報は「近い」「近くにある」という感覚で接している。 たとえばぼくの友人が自分でウェブサイトを立ち上げたとして、ぼくの好みの情報をちょくちょく公開してくれたとしても、フィードが配信されていなかったら更新に気付くことができず、足が遠のいてしまう可能性が高い。これは逆に「遠い」ということになる。 ところでぼくは会社員なので、社の一員として社内の情報にアンテナをはっておいて、重要な情報があればうまいことキャッチしたいと考えている。しかし、特定の組織の内部でのみ共有される情報にはしばしばアクセス制限が施されていて (そりゃそうだよね) 情報の流通を担うシステムとの相性が悪いと感じる。 社の人々が日報を書いていたとして、それはぼくが読みたい内容ではあるのだけれど、新着日報に快適に目を通していけるような仕組みがなければ、やっぱり足が遠のいてしまうところはある。社内ブログ、社内ビデオ、社内ポッドキャストなどなど、いつも自分が触れている流通の仕組みに乗って流れてくれば楽しく摂取できるだろうに、それが叶わないために体感距離が「遠い」になるのはもどかしい。
「流通」に加えて「評価」についても少し述べておこう。量の観点でいえば、社内に投じられたものよりも一般公開されたものの方が「評価」に代表されるフィードバックを集めやすい。それが「バズった」ような状態になれば、情報に箔が付くというか、結果的に社内の人々に「見ておこう」「読んでおこう」と思わせやすいだろう。
そんなわけで、社外に出しちゃだめな情報は社内に置くしかないのだけれど、そうでないものについては、どんどん一般的な流通の仕組みに乗せていって、届きやすくしていくのがよさそうに思う。
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