小さな物語を大事にしていく
土門:周りの人に母はよく「大変だね」と、少し同情されるように言われていました。そんな母を見ているうちに、「このままだと母は本当に『可哀想な人』になってしまうな」と思ったんです。でも、そんなこともなくない?って。それで、母目線で物語を書いてみようと試みたのが私の初めての小説でした。母を「日本で苦労している韓国人のシングルマザー」ではなく、一人の「私」として書きたい、と。
内沼:なるほど。
土門:それを書きながら、私は「大きな物語」に対抗しようとしているんだな、と感じました。個人の「小さな物語」を書くことで、世の中の「大きな物語」に呑み込まれないようにしている。きっと「満員電車で辛そうに出勤するサラリーマン」も、「大きな物語」の登場人物なのだと思います。だけどその人が「今日という一日」を書けば、それは「小さな物語」になる。その足掛かりとして日記があるのかもな、と。
内沼:本当にその通りですね。今、すごく言語化していただきました。本来世界というものは、一人ひとりの「小さな物語」の集積でしか構成されていないはずなのに、わかりやすいストーリー、つまり「大きな物語」に回収されてしまっている。その方が理解も管理もしやすいからってだけなんだけど、それはある種、思考の放棄に近いんですよね。
土門:はい、はい。
内沼:これから労働の一部がどんどんAIに置き換わって、自分の人生のために時間を使えるようになっていくのだとすれば、空いた時間で「小さな物語」をもっと書き残すようになったら楽しいと思う。そもそもは人生が主体で、その中に仕事があったはずなのに、仕事がなくなったら「人生とは?」ってなってしまう人がいるのは、やっぱりどこか間違っているんですよ。それを取り戻すためにも、自分が日々感じていること、考えていることをもっと書く人が増えたらと思うんです。
また、他人が書いたそういったものを読むことで、道ゆく人に対する解像度も上がると思います。「満員電車で通勤するサラリーマンはみんな辛いはずだ」とステレオタイプにしか捉えていなかった人も、そういう人の日記を読むことで、「この電車の中にいる人にも、一人ひとりいろんなことがあるんだな」と知ることができて、世界に対して優しい気持ちになれる。
土門:本当にそうですね。
内沼:今、「大きな物語」に苛立っている人が増えているんだと思う。でも、本当は「小さな物語」の積み重ねが世の中なんだと認識できると、優しい気持ちになれますよね。だから何かもやもやしている人には、日記を書いたり、読んだりしたらいいかもしれないよ、って思います。「日記屋 月日」がそういう拠点になれたら、とても嬉しいですね。