安易に才能の話として片付けられると悲しい
なにかしらの成果物に対して「天才」というラベルで賛辞を送る行為が市民権を得ていると思う。 だけれども、ぼくから見るとすばらしい成果物のほとんどはハチャメチャな「努力」や「研鑽」の果てに生み出されているように思える。もちろん、才能と努力の組み合わせによってすばらしい成果物が生まれたりするだろうから、才能を褒め称えること自体を悪く感じるわけではないが、それにしても才能ばかりが注目される雰囲気は好きではないな、と思う。 ぼくも先天的な才能によって無双と呼べるような大活躍ができたらよかっただろうけれど、そうはならなかった。なので、後天的に身に着けた技術やスキルを愛でるように大事にして、地道に前進していこうと思ってやっている。 才能、かっこいいもんね。努力や研鑽は大変だよな。努力や研鑽を経ずに活躍したい。自分の価値が社会に見い出されてほしい。だから「これを飲めば痩せる」という薬は売れるのだろうし、異世界転生によって自分ではなくて環境が変わることで無双できるシチュエーションが人気になるのだろう。 だからこそ。努力や研鑽を積み重ねてきた人には、そのことに着目して敬意を評したい。賛辞を送りたい。 努力や研鑽から生み出された成果物に「天才!」と言葉をかけるのは、料亭で「クセのある食材なので、調理方法に工夫を重ねて仕上げました」と出された料理に対して「素材がいいですね」とコメントするようなものだと思う。そこは素材の味じゃなくて調理方法を褒めたれよ、と思う。 後天的に体得できる技術やスキルによって人生を切り拓いていける、という感覚がもっと広まっていくといいな。