安易な謝罪の回避と、代替アプローチ
konifar さんのエッセイを読んで考えたことがあるので書いてみる。 不要な摩擦を減らすために、一言謝罪を入れてしまいそうになることがある。特にテキストコミュニケーションで多い。たとえば以下のような一言である。
「横からすみません」
「忙しいところすみませんが」
「休日にメンション失礼します」
「もう認識されていたらすみません」
「行き違いだったら申し訳ないんですが」
「自分の認識違いだったらすみません」
日本中のいたるところで見かけるようなフレーズって感じですよね〜。
こういうちょっとした気遣いはとても重要で、それ自体を否定することはない。ただしやりすぎは健全ではないと思っていて、こういった謝罪による前置きは減らせるようにしていきたい。たとえば有休や育休を取る時には、ただの前置きだとしても謝罪はしない方がよいと思う。過度な気遣いは文化の形成においてマイナスに働くこともありうる。
組織の中で活動するときのぼくのスタンスも konifar さんのそれにけっこう近いな、と思う。 組織と文化
ぼくは「意思決定の積み重ね」もうちょっとくだいて言えば「日々の言動の積み重ね」がその場の文化になっていくと捉えているので、自分が理解する「この場の未来として、望ましい像」に近づくような言動にはプラスのフィードバックを、遠ざかるような言動にはマイナスのフィードバックを与えていく。 たとえば、チームや部署の境界をこえたコミュニケーションをもっと増やしたいと考えているときには「横からすみません」は言わないようにする。「これは "すみません" と添えなきゃいけない行為ではない」という自分の意思を表明するために、この組織の一員なんだから組織内の会話にはスッと入っていきますよ、とすました顔で会話に入っていく。
ただ、こういうクッションみたいなフレーズを見かけるたびに狩っていけばいいとは思っていなくて、内容はなんであれ「やりとりはやりとり」なので、誰かと誰かの間で言葉をやりとりするってのは単純接触効果も生むだろうし、言葉狩りのようなことを行って組織内のコミュニケーションの総量を減らしてしまったら本末転倒にもなるだろう。 関係の固定化
A さんが B さんに対して、毎日のように「すみません」「失礼しました」というフレーズを送っていたら、二者間の関係を固定していくのではないか。
たとえば家庭生活において、ぼくは妻となるべく対等なパワーバランスでいたいと思っていて、一方の「ごめんね」という回数が増えてくるようなことがあれば要注意だ。悪いことをしたら謝罪した方がいいと思うけれど、ふたりで生活していて相手に引け目を感じなきゃいけないようなことはないんだから、謝罪の言葉が続くようなら環境に問題がないかを疑う。ぼくは妻に「あやまってほしい」と思っていない。誰もあやまらずに済む環境をつくって維持したい。
@satetu4401: 人生の上級テクニックとして「数手先を読んで、相手を悪人にするようなルートを避ける」というのがある 自分が実践しているのは上級テクニックという感じでもなくて、チームとしての基本を愚直にやっているつもり。誰かがまずいことになりそうだったら、チームで対話して「じゃあ、こうしよっか」と対処するだけ。
社会の中で、やたらと謝罪の言葉を連発し、その状況を変えるつもりもなさそうな人をたまに見かける。
「遅くなってすみません」「お手数をおかけしてすみません」「ご迷惑をおかけしてすみません」
これは、見方によっては「自分が下」という関係を固定化したがっているようにも見える。ぼくは対等な関係を好むので、この手のフレーズを繰り返し何度も受け取っていると気分が参ってくる。「今回はすみませんでした!以降は◯◯するんで再発させません!」みたいな、未来を向いたやりとりだと助かる。
自分はどうしているか
組織の、目指す像
個人間の、目指す関係
にマッチするように言動を選んでいる、ってことがわかってきた。同時に、一言謝罪定型文には会話のクッションみたいな効能もあって、ただただ禁止すればよいってもんじゃないこともわかってきた。クッションは大事、でも自分たちが進む先は望ましい方向にしたい。
「横からすみません」の代わりに
「自分の知識が役立つかもしれないので、書きます!」的なことを添えている
「お手数をおかけしますが」の代わりに
「いつもたいへんな作業ありがとうございます!」的なことを添えている
「休日にメンション失礼します」の代わりに
「休み明けだと遅いと判断し、報告します!」的なことを添えている
自分はこういうクッションを好んで使っているな、ってことがよくわかってきた。他の人たちの会話に首を突っ込むのも、組織内の仲間に作業を依頼するのも、休日にメンションするのも、別に悪いことだとは思っていない。というか、悪いことは「やらない」という判断をしていて、その時点で「これをやった方がいい」と思えることをやっている。だから堂々とやる。ほんで、クッションとして「感謝」の気持ちを添えたり、その意思決定に至った「理由」を添えたりしている。
こうすることで、望む方向とクッションの両立を狙っているっぽい。
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