内省のためのアウトプット
アウトプットは大事、というお話がある。アウトプットというと、自分を始点として外に向かう矢印が想起されることが多いように感じる。対応する概念としてインプットがあり、これは終点を自分とする内向きの矢印として表現できる。「自己アピールのための」「セルフブランディングのための」アウトプットはあるし、そういうのが大事という主張に異論はない。 ぼくは「内省のためのアウトプット」がかなり重要だと思っている。自分の頭の中、心の内にしかないものを体外に放出して具現化することで、少し引いた視点でそれを見ることができる。体外に放出する過程で気付きを得たりもする。わかっているつもりのことも、説明する文章を書こうとして「あれ、どうだっけ…?」「これ本当か?」と詳細を調べるうちに「わかっていなかった!」となったりする。 内省のためのアウトプットは、気軽なものでもよい。少なくとも、自分ひとりの目に触れれば万々歳、死ぬまでハッピー。自分から出た矢印が自分に戻っているようなイメージ。 令和元年、簡単に誰かとつながってしまう装置があり、便利だけれど、望んでも望まなくても簡単に誰かとつながってしまう環境だからこそ、静かに自分と向き合える環境は大事。
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