他人と会話するときのモード選択
ここでいう「他人」とは、友人でも知人でもないような人。たとえば、たまたま入ったお店の店員さんとか。
ぼくが他人と接するときのモードは、友人知人と接するときとあまり変わらない。
基本的にニコニコしている
完全にゼロにはできないとしても、相手に与えるネガティブな影響を可能な限り小さくしたい
ざっくりとこんな感じで接している。
人によっては「友人相手には朗らかに接するけれど、他人が相手ならスンとする」とモードを切り替えている。ぼくがこれまで出会ってきた中にもそういう人はいた。ぼくのことは丁寧に扱ってくれるのに店員さんに対してはぶっきらぼうに接しているのを見て「おお、使い分ける流派もあるんだなあ」と思ったりする。
ぼくがどうしてニコニコモードで接するのかを考えてみると「自分が払う感情コストを最小にしたい」という思惑があるんじゃないかと思う。ぼくは、誰かが苦しそうにしていたりつらそうにしている場に居合わせるときに自分の心に強い負荷がかかることを知っているので、ぼくの見えている範囲において人々には心穏やかに過ごしてほしいと願っている。
なので、気まずさを感じてしまう引っ越し業者の相見積もりの類はとても苦手。複数人の友人を一箇所に集めていきなり競わせるようなことはしないんだから、業者さんに対してもそんなことはしたくない。まあ、業者さんから実際に「あれはつらいです」と聞かせてもらったわけではないので、勝手な想像による独り善がりな願いではある。
店員さんに対して横暴な態度を取ったとして、それで店員さんがビクビクしちゃったりしたら、いたたまれない気持ちになって心がキューッとなる。そういう事態を避けたいと思いながら暮らしている。
ところで、他人に対してぶっきらぼうなモードを選択する人も、ぼくと同じように「自分が払う感情コストを最小にしたい」という要件に合わせて動いているかもしれないよな、と思ってこの文を書き始めた。人によっては、他人に対してニコニコすることのコストがとても高いかもしれないし、他人がつらそうにしていても別に気にならないかもしれない。
実は達成したいことは同じで、だけれども表出する言動は異なっている、というパターンなのかもしれない。