世界にとっての財産となるような「公共」のもの
https://www.youtube.com/watch?v=qGmDuzgK7tw&pp=ygUP5Y2D5bm044Gu57aZ5om_
ぼくは太宰府天満宮のことはぜんぜん知らないし、神社に関する思い出もなく、藤原道長さんについても COTEN RADIO のシリーズを聴いてちょっと知ったくらい。なので事前情報だけを見て興味を持つのはむつかしかった。だけれども、COTEN RADIO の番外編には何度も「聴いてよかった、知れてよかった」と思わされているので、今回も「よしゃ、聴いてみよう」と思って聴き始めた。やっぱりおもしろくて最後まで聴いた。 千年も続いてきたものを受け取って、今度は千年後の未来を見据えて今日の活動をやっていく。ぼくには想像することもむつかしいような時間間隔とともに生きておられるのだなあ、と感じて圧倒される瞬間があった。千年ってなあ、フィクションの中の長さだよな。『遊戯王』とかね。深井龍之介さんが言うには、世界全体で見ても千年以上も続いているものは例が少ないらしい。 「神社」と聞いて、なにか特定の信仰心を持つ人たちだけに関係のある話と思っていたけれど、そんなに単純な話でもなさそうだった。ぼくがいま住んでいる松本市で考えてみると、ほんの数週間前には四柱神社と深志神社を訪れていて、たしかに街の景色や体験の一部になっているよな。さらに別の視点で見れば、たとえば松本城、あるいは北アルプスの山々の眺め。これらがなくなってしまったらすごくイヤだよな、というのはぼくでもわかる。 こういった「特定の誰かのものではなく、みんなにとっての大事なもの」的な性質を通して神社という存在を見つめ直すと、これまで考えてこなかったような接点が少しずつ見えてくる。これが神社全般にあてはまる話なのかどうかは今のぼくにはわからないけれど、少なくとも西高辻󠄀信宏さんの語りを聴いていて、太宰府天満宮についてはそのように見え方が変わったのだった。 「特定の誰かのものではなく、みんなにとっての大事なもの」
これはつまり「公共のもの」「パブリックなもの」ってことだよなあ。ここにきて自分の中の「パブリック」という言葉の捉え方にも変化が生じてきて、おもしろい。 ぼくはいくつかの会社に属してきて、ソフトウェア関連のお仕事をやってきた。そこにおいて自分が見ていた未来の射程距離ってのは、せいぜい 5 年先くらいだったように思う。ふだんは、明日、来週、来月、次の四半期、せいぜい来年までのことしかまともに考えていなかったかもしれない。もちろん、同じ会社に属していても、経営者のような視座の高いポジションにいる人はもっともっと先のことを考えていたかもしれないけれど。 飲料メーカーのサントリーさんは、自分たちの活動にも直結するものとして森を育てる活動をやっている。ウェブサイトを見ると堂々と「50年、100年先の未来」と書いていて、ぼくからすると「大きな覚悟だ!」と思う。 50年、100年先の未来もずっと、森ととことん向き合い、水と生き物にとっての理想の森を追いかけ続けます。
サントリーさんのような事例があってうれしい気持ち。とはいえ、ほとんどの企業はそんなに長いスコープでは物事を考えられていないのでは…?という気もしている。 少し話は変わって、ウェブ上の成果物の寿命の短さについては「こんなはずでは…」みたいな感覚がある。ぼくが自身のウェブログを開設した 2006 年頃、ぼくがパーマリンクと言うときは無邪気に「永遠のリンク」を夢見ていたが、それから十数年を過ごして、いくつものサイトの閉鎖、ドメインの失効、無数のリンク切れを目撃してきた。いちおうぼくのブログの置き場所として取得した june29.jp については、バックエンドが WordPress から Hugo に変わったりしつつもすべての記事のリンクを今も保全できている。せめてこれは守りたい、という気持ち。 normalize.fm の d0xa5 さんと _baku89 さんの会話において、ウェブ上のメディア・アートの保全はむつかしい的な話があった。たしかに…。作品がつくられた時期のウェブブラウザでは期待通りに表示され動作していたものも、ウェブブラウザのバージョンアップや環境の変化によって表示が崩れたり動かなくなったり、するよねえ。当時のまま保全しようと思ったら、ソースコード一式を保存しておくだけでは不十分で、そのときの動作環境ごと残しておかなきゃいけないのだった。ウェブ上の成果物の保全、むつかしいじゃん。 https://open.spotify.com/episode/2HOygRmHNA1HhfhxzQ862I
短命になってしまいがちなウェブ上の成果物のことを想ったりもしていたもんだから、千年というスパンを背景に語られる活動に圧倒され、気が遠くなってしまった。
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ここまでは「超長期的視点」の話をしてきたけれど、続いて「公共」「パブリック」への関わり方について書いてみたい。 「みんなにとっての大事なもの」をつくり育て守るような活動に、もっと関わってみたい。自分自身や特定の組織の利益のためだけに動くのではなく、よりよい社会・よりよい未来のための活動に関われたらうれしいだろう。ずっと先の未来にもこれがあってほしいよね、と多くの人が感じているようなものを守っていきたい。
どんな関わり方があるだろうか?
少なくとも 2024 年の自分において「公務員になる」という道は選ばないだろう、と思う。副業禁止だったり、業務の外に適用される制約がきつすぎると感じている。「公」のものに関わる魅力は感じているが、そのために自分が採る選択としてベストなものは「公務員になる」ではなさそうと感じている。 もちろん、企業に属してそこの商品や製品をたくさん売ることが公共の利に資することはある。それはわかっているつもり。ただ、業績が悪くなってくると短期的視点の影響力が強くなりがちなことも経験的に知っているので、なかなかむつかしいものだ。 小学校でのボランディア活動への参加は、素直な気持ちの発露と言えそうだ。「公教育」というものに関わってみて、これは大事なものだな〜と全身で感じている。今の日本社会においては潤沢な資金が集まる領域ではないけれど、ここにはたしかな価値を感じるし、もうちょっとリソースが集まった方がよさそうとまで思う。 みんなにとって大事なもの・大事なことを、みんなでちょっとずつ関わって育てて守っていけたらいいな、と思う。自分がそう思っているということに気が付けた。そして、関わり方にバリエーションがありそうということもわかった。自分の命の残り時間を、意義を感じられることに使っていきたい。
https://www.youtube.com/watch?v=6Q_EtZx4-X4&pp=ygUP5Y2D5bm044Gu57aZ5om_
https://www.youtube.com/watch?v=prWTGSl39CM&pp=ygUP5Y2D5bm044Gu57aZ5om_