丁寧に「雑」を扱っていく
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をメモしながら、自分の考える「雑」の効能というか、それとの付き合い方みたいなことをこのページに記したい。 https://gyazo.com/7616da334c9692c785f7489035ab65e5
「雑の扱いがうまいな〜」と思う人たちがいて、その人たちは「雑を丁寧に扱っている」ように見える。「雑にやろう」と声かけがあるとき、たまに「乱暴に」というニュアンスで伝わってしまうことがある。おそらく世間一般において「雑に」ってのはネガティブな意味合いで使われていて、そう伝わってしまうのも理解できる。 ここで稲垣栄洋さんの力を借りて、雑草の定義からスタートして「雑の活用」について考えていきたい。 日本の辞書には、雑草とは「自然に生えるいろいろな草。また、名も知らない雑多な草」「農耕地や庭などで、栽培目的の植物以外の草」「生命力・生活力が強いことのたとえ」などと書かれていて、必ずしも邪魔な悪い草という意味はない。
「名も知らない雑多な草」「◯◯の植物以外の草」という言い方が出てきて、きれいな分類の外側にある存在であると言えそうだ。
日本の農林水産省では、食用に使われる植物の中で、一年以内に枯死する一年生の草本性植物を野菜に分類している。草本性植物とは、木にならない草の植物という意味だ。これに対して木になる植物は木本性植物と呼ばれている。
(中略)
そのため、一年生草本性植物であるメロンは、野菜に分類されるのである。しかし、メロンは「果物の王様」と呼ばれて果物屋さんで売られているし、フルーツパフェにも入っている。実際に、食品を扱う厚生労働省では、メロンは果物として扱われている。
そもそも分類や定義というのは、人間が決めたものである。タマネギは、以前はユリ科に分類されていたが、その後、ネギ科に分類されたり、現在ではヒガンバナ科に分類されたりと定まっていない。
なるほど。「雑草」を通して見えてくる雑という概念の正体は、今のところ下記のように整理しよう。 分類や定義というものは、人間がそのときそのときの都合で決めるものである
自然物は、人間が決めた分類や定義にもとづいて発生するわけではない
整理しきれない・分類しきれないものを「雑」という括りでまるっと扱うことがある
「雑」の態度というのは、対象をいったんありのままに受け止めることなのではないか。「メロンは野菜か?果物か?」に決着をつけようとするのではなく、野菜っぽくも果物っぽくもあるメロンという存在を「メロンはメロン」として受け止めて話を進める。ネガティブ・ケイパビリティを発揮すること、とも言えるかもしれない。 「未知のもの」「理解の及ばないもの」を受け止めるのには一定のコストがかかるから、誰かに「野菜です」と言い切ってもらった方が楽ではあると思う。でも、そうしてしまうと「果物っぽさ」を切り捨てて先に進むことになってしまう。情報や可能性を落とさないように雑な状態で話を進めるのは、見方によってはとても丁寧な態度であると思う。 「雑に相談する」というのは、さまざまな可能性を残した状態で相談に向かうことを指していると考えるのがよさそう。デザインのダブル・ダイヤモンドでいうと左端の Discover の段階で相談しましょうよ、ってこと。A もしくは B もしくは C かもしれない状態。 ひとりで「うーん、今回の課題は A B C でいえば B だな」と考えて、B についての解決策を練って相談にいって「そもそも B なんだっけ?」となったら悲しいよね、って話か。
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これは特に不確実性の高い状況に対峙するときに有効な考え方である、ということがわかってきた。不確実性が無視できるくらいに小さい状況であれば、問題をきっちり整理して分解してひとつずつ倒しておけばいいもんな。 自分としてはわかりを得たので、まとめる。
とくに不確実性の高い状況では「雑に進める」が有効な手段となりうる 「雑に進める」ためには対象への正確な理解が期待されるので、認知能力を高める訓練を積むとよい
課題を A とも B とも C とも定義しうる、と組み立てるには相応の認知能力が必要
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みたいなことを言っている。