ブラックリストを育てたくない
好きなものは多ければ多いほどよい
嫌いなものは少なければ少ないほどよい
という考えがあり、好きなものを積極的に増やしていく姿勢があるとともに、可能な限り「嫌いなもの」「タブー」「NG」の類をリスト化したくない。なにかしらの対象について自分の中で「◯◯は嫌い」と明確に言葉にするのを避けがち。それが言霊になって、◯◯という文字列を見たり聞いたりしただけでウワッとなるフックをわざわざ作って育てていきたくないからだろう。 「よさそう」と感じる対象には積極的に近付く。好きになりたいから。
「合わなそう」と感じる対象は not for me なんだろうと捉えて静かに距離を置く。嫌いになりたくないから。 だから、ソーシャル系サービスによくある「ブロック」「非表示」みたいな機能は、なんというか怖くてあんまり使えないところがある。特に人間を対象としたそれらの機能は、自分の中でその相手に対する決定的な印象をつくってしまう気がして怖い。ミュートワードの類もそうで、それを設定する過程がもうストレスフルだし、設定した言葉のリストを見てよい気分になれるとは思えない。 じゃあ「イヤなものを我慢して浴び続けるのか」というとそうではなくて、ブラックリストよりホワイトリストが好きでも書いたように、好きなものだけが流れてくるように情報チャンネルを整備するアプローチを好んで採用している。とにかく、嫌いなものを中心に考えてなにかをするよりも、好きなものを中心に考えてあれこれやっていきたいのだ。