バディがいると捗る
在宅勤務に新鮮さを感じることもなくなっていた 2021 年の年末に、ひさしぶりにオフィスに行って仕事をする日があった。オフィスでは自部署の部長と副部長が横に並んで座っていて、ぼくはふたつ並んだ頼もしい背中が見える位置に着席していた。 そういえば、と思い出したことがある。ぼくがオフィスでワークショップの類を設計するときは「問題 vs 私たち」の構図をわかりやすく示すために、物理的にみんなで同じ方向を向いて座るような座席配置を好んで取り入れていた。人間と人間を向かい合わせる配置じゃなくて、人間はみんなホワイトボードに向くような、そんな配置が好きだったのだ。 在宅勤務でミーティングやワークショップを行うとき、多くの場合にビデオチャットを活用する。カメラがオンであれば、参加者ひとりひとりの顔がよく見えるのは利点と感じている。「席が近い人 / 席が遠い人」といった区分けは発生せずに、みんなの顔がだいたい同じサイズで表示される。声もマイクを通ってイヤホンから届くので、遠くの人の声が聞こえにくいなんてことも起きない。多くのメリットを感じていたが、物理的に構図を示すチャンスを失っていたんだな、と気付いた。 ちょうど部長と 1on1 する機会があって、おもしろい話を聞かせてもらった。「今年は副部長との関係性がよい方に変化したんだ」と部長は言う。ぼくの理解で雑にまとめると、以前は、直面した問題をいったん部長の中で整理して切り分けてから副部長に共有なり報告なりしていた、と。それが今は、なにかあれば生の状態でそのまま副部長と共有し、整理するところからいっしょに取り組む、と。概念的には「縦」の関係から「横」の関係に近付いたのだろうと想像している。 ぼくがオフィスで見た横並びのふたりの姿は、今の部長と副部長の関係をよく表しているように思えた。実際、なにかあれば隣にいる相手に話しかけてすぐに共有していた。自部署の部長と副部長が「バディ」のような関係でいてくれるのは、部署の一員として心強いことだと思う。
バディ。日本だと「相棒」や「相方」といったフレーズの方がなじみやすいだろうか。テレビ朝日のドラマシリーズ『相棒』は人気があると聞くし、お笑い芸人のコンビは組んでいる相手のことをよく「相方」と呼ぶので耳になじみがある。安心して背中を任せられるような特定の相手、といった意味でここではバディという呼び名を使っている。
一定以上、前提とする知識や考え方や文脈を共有した上で、だけれども自分と違う観点を持っている相手。そういう人がいると、なんでも相談できて、かつ、自分が前に進むような助言をもらえることも多くて、たいへんに捗るだろう。うちの部長と副部長の関係はそうだろうし、社内でいえば CTO と VPoE もそういった良好な関係に見えている。相談だけじゃなくて議論も成立するような相手だと、よいバディと呼べる感じがする。
さて、自分にはバディと呼べるような相手はいるだろうか?この一文によって、読者のあなたにも問いを投げかけることになっただろう。
今の家庭生活においては、もちろん妻がバディだ。結婚から 7 年ほどが経ち、主語を「私たち」にして物事を考える機会も増えてきた。自分たちのこれまでの日々についてお互いによく知っていて前提は共有できた上で、ぼくと妻ではタイプがぜんぜん違うので別々の発想を持ち寄って楽しくやっている。しばしば話は合わないものの、その違いを楽しめているからそれでいい。自分ひとりでは辿り着かないところに、妻となら行けるのだ。
人生のそのときそのとき、学校であったり、以前に働いていた職場であったり、今の職場であったり。職場の中でも、ぼくはわりと部署異動の多いキャリアなのでその都度で状況は変わるものの。なにかあったときの相談相手として選んでいる人は常にいたような気がするな。組織図上の上司にあたる人や、特定トピックに詳しい専門家に相談するようなこともあるけれど、自分にとっての「心のバディ」的な人がいてくれると、とにかく捗るなぁとあらためて思う。
願わくば、自分がなにか難しいことに取り組むときにはバディとして頼れる人を見つけておきたい。また、自分自身が誰かにとってのよきバディになれたらうれしいな、とも思う。