ネガティブな感情を好奇心で受け止める
約 6 年間に渡って mamipeko.icon といっしょに暮らしていて、最近はこれが上手になってきたな〜というお話。
自分以外の「意思を持った生命体」といっしょに暮らしていると、ネガティブな感情を抱くときはある。これ自体には良いも悪いもないだろう。現象としてそういうことがある。 そこから生命体同士のバトルが勃発してしまうとなかなか厳しい。ぼくは争い事が好きではないし、自宅は心休まる場所にしたいので自宅内での揉め事ってのは可能な限り回避したいところだ。
同居をはじめてからの最初の 2 年間くらいは、お互いの価値観をすりあわせながら、ときには衝突しながら過ごしていたと思う。揉め事を完全回避するのはむつかしかっただろう。今日の状態に至るまでの通り道だったように思える。
近年はお互いに「相手がどういうことを大事にしているのか」を把握できているので、事故として発生してしまう揉め事ってのはほとんどなくなった。平和になったものだ。ただ、それでもネガティブな感情を抱いてしまう瞬間というのはある。生きている限りは、そういうものなのかもしれないね。 じゃあ最近はどのようにその手の感情と付き合っているかというと、好奇心を活用して受け止めている。 今日、体調がよくない?
どんな気持ち?もうちょっと掘り下げてみようか
どうしてこんな気持ちになったんだろうね?
のように、june29.icon や mamipeko.icon の感情に興味を持って近づいていく。
こうやって会話を進めていってみると、本人たちにも発見がある。「ああ、これはあのときのあの体験がベースにありそう…」「子どものころに友だちに言われてイヤだった台詞だわ…」のように。あるいは「新作の公開前日はナーバスになりがちだ!今まで気付かなかった〜」などなど。
誰かといっしょに暮らすことの醍醐味は、自分ひとりでは見つけられないものを見つけられることにあるとぼくは思う。ネガティブな感情はときにしんどいものだけれど、自分たちから近づいていってみるとその先に発見があったりもする。ふたりで「あ〜〜!」と発見をよろこんでいるとき、そこに揉め事の雰囲気はない。「そっか〜、だからイヤな気持ちになっちゃったんだねぇ」「学びだねぇ」と話していると、また少し生きるのが上手になった気がしてうれしくもなる。