セレクティブ・エネミー
この状態を説明するために、私は「セレクティブ・エネミー」という言葉を使っています。
社会心理学にはもともと、セレクティブ・メモリーという言葉があります。それは、人は記憶を自分に都合のいいような形で収集することができ、評価するというような意味です。例えば、リベラルの人は、保守系の人たちの言説を見ても、自分たちの意見は揺るがない。むしろ、自分たちの側に都合のいい情報をどんどん集めていき、その結果、人々のクラスター化が起きる。
でもいまは、その中で相互に引用されるような人たちが出てきている。それが「選択できる敵」、セレクティブ・エネミーです。要は、対立する勢力の中から、とんでもない発言を部分的にシェアして論じている。そのようなことをおこなう論壇がそれぞれのクラスター単位でできていると。
だから、保守系の人たちは、反保守派の中でも過激な活動だけを取り上げますし、リベラル派も、保守の中で極端なことを言っている人を取り上げる。実際に検索してみると、極端なことを言ったりやったりする人は確かにいるんですが、少数派です。そうしたものをピックアップして攻撃し、それぞれのコミュニケーションを評価していくということがあるわけですね。
意図的に弱いやつを見つけてきて叩く、という感じか。
「弱いものいじめ」というと、学校の学級や職場のような特定小集団の中で相対的な弱者を対象にマウントを取る、というような行為を指してきたように思うのだけれど、今はクラウド時代になって、いつでも適当に弱者を調達してこれるようになったのだなあ。
そういうことが簡単にできるような社会である、という認識を強く持っていないと、無自覚にそういった行動に飲み込まれてしまいそう。