ゆっくりと、なりたい自分になっていく
近年になってようやく、街で困っていそうな人を見かけたときに自然に声をかけられるようになって、そうしていると気持ちがすごく楽で、自分はずっとこうなりたかったのだろうな〜と思うのだけれど、ここまでくるのに 35 年くらいかかったのだなあ
特に 20 歳前後のころは、あらゆる方面に対して素直にふるまえない時期が続いていて、スッと声をかけるとかそういうのは体現できていなかったように思う。
16 歳くらいまでは極度のヒトミシラーで、そんな自分のことをあまり好きになれずにいたけれど、高専入学を期に一念発起して「自分から同級生に話しかけていくぞ!」とやってみたら少しずつ人見知りが消滅していった。 こんな感じで、長いスパンで見ると、ぼくの人生は「ゆっくりと、なりたい自分になっていく」という物語になっているようにも思う。自分を見つけていく、とも言えるのかもしれない。「これが自分だったのだ」と、おさまるところにおさまっていくような。
加えて、昔も今も変わらず「これは無理」「どうにも受け入れられない」というものもいくつかあって、けれども、そうした自分の特性が不利益につながらないように生きていく術を身につけることはできる。たとえば、朝起きるのが苦手であれば、朝起きなくてもよい仕事に就くとか、そういった選択肢はけっこうあると思う。
思うに、中学生くらいまでは、自分の特性にあわせて柔軟に生き方を選ぶという発想がなく、また、学校生活においては同質性が求められていたようにも感じるし、生きづらさを感じることがちょくちょくあった。大人になってからの方が自分を愛せているし、不完全な自分でもそれなりにうまく生きていく方法はあると思えている。