やりたいことをやる、競わない
(若林正恭)これ、さっき飯塚とかとしゃべってたんだけど。全然話、変わるんだけども。今さ、テレビでネタもやりながら、バラエティもやっていて。ほいで、YouTubeも人気。そのYouTubeは、やりたいことをやるわな。そういう人気者が、結構いっぱいいるじゃん?
(春日俊彰)うん。
(若林正恭)それを見て、なんならNetflixとかを見て、「こういう芸人さんになりたい」と思って思ってお笑いを始めるじゃん? そうしたら、「情報番組に出ながらも、『お笑いができない』というモヤモヤを抱えながらテレビに出ている」なんていうのはもう、理解できないんじゃないかなと思って。
(若林正恭)やってる、やってる。だから変なんだよ。「お笑いでやりたいことがあるのに、やれてない」なんていう状況は。それで、そういう思いを抱えながらテレビに出るなんて、意味がわかんないんじゃない?
(春日俊彰)たしかにね。「やれる場はあるのに、どういうことなんですか?」っていう(笑)。
(若林正恭)そう。「テレビって、楽しいじゃないですか」みたいな感じがすごい、『あちこち』とかで若い子としゃべっていると受けて。「なんなんすか、それ?」みたいな。「自分の笑いをなめられないようにしてるなんて、なんなんですか、その感じ?」みたいになってるんじゃないか、みたいな。そんな怖さ。
(春日俊彰)ああ、でもあるだろうね。「じゃあ、別に自分のところでチャンネルでやればいい話じゃないですか」みたいなことでしょう?
(若林正恭)そうそう。だから山が1個しかなくて、そこにみんなで登って混雑してるから競争になるけど。もう山が無数にあるから。
(春日俊彰)自分で作っちゃえばいいわけだからね。
新しいテクノロジが登場して選択肢が増えたときに「やりたいことはあるけど、やっていない」の言い訳がどんどん失われていっている感じはあるよなあ。やっている人は誰と競うでもなくやっているし、そういうふうに突き詰めた人が社会的な評価を勝ち取りやすくもなっている。