なにかが蓄積した反動で、考え方の転機を迎える
2023-07-20 時点で 40 歳の自分が 20 歳までのことを思い返してみる。生まれ育った家庭と、通っていた幼稚園、小学校、中学校、高専、それから北海道内のいくつかの市町村の風土。そこで自分の考え方の「型」が形成されていっただろう。 とくに小学校・中学校において、なんとなく自分が「ハマれていない」感覚があったように思う。当時のことを詳細に記憶しているわけではないが、とにかく足並みを揃えてみんなでなにかをやる、ということについてしっくりきていない感覚があったのではないか。今年は小学校でのボランディア活動をがんばっていて、教室の中でも「全体のリズムから外れてしまいそうな児童」ばかりに意識が向く。かつての自分を重ねるのだろうか。 ぼくには「ひとりひとりが自由にやれたらいい」「それでうまくいくならそれがいい」という価値観が強く根ざしていて、これはどこ由来なのかは正直よくわからないが、人格形成期に「みんなで足並みを揃えましょう」への違和感が蓄積し続けたことが一因なのではないかと想像している。なにかしらの対象に対する違和感が積み重なっていくと、なにかのきっかけでそれが破裂し、逆側の思想の発露として顕現することがありそう。
ザッソウラジオの「老荘思想」のシリーズにて、同じような構造の話があった。「結果をコントロールしなきゃ…!」と何年も何年もがんばってきた結果、なんかちがうかも、となってコントロールを手放してみることにした、流れに身を任せてみるようにした、といった話。 https://open.spotify.com/episode/7lXSXW775UVcU4PmZz0L9C
https://open.spotify.com/episode/0iFfjZKIMncH1IxhTm0ChA
https://open.spotify.com/episode/48BbvVJlgT5P7ohATCkU6j
今度は自分の会社員時代として 24 〜 39 歳までの期間をふりかえってみる。この時期は資本主義的な考えに染まりまくっていて、特に 20 代はワーカホリックだったし、おかげでたくさんのものを得た。楽しい時期を過ごせたと思っている。ただ、その中で見つけた違和感というのもあって、40 歳の自分はポスト資本主義というトピックに強い関心を示している。 「終わりなき成長」「いつまでも右肩上がり」そういうもんだと思って 10 年以上をがんばってみた結果、これをずっと続けるのはつらくないか?そうじゃなくとも幸せそうに暮らしている人はいるよな?自分にとってハッピーな日々の過ごし方とは?と考えるようになり、2023 年の無職期間を過ごしている。次の実験期間なんだろうね。
ここからまた「こういう考えでいくぞ」を定め、10 年か 15 年くらい続けてみたら、また新しい違和感を発見して、軌道修正して、次の航海に出ることになりそう。死ぬまでこれが続いていくのかな。楽しそう。