おじさんとの付き合い方
あと数日で 40 歳になるぜ!という状況の 2023-06-20 の記録。「おじさん」という概念についてはいろいろと思うことがあるので、自分の中のおじさん性との向き合い方というか、付き合い方というか、そういうことを書いてみる。 https://open.spotify.com/episode/5tAfmcmSnc3noVSGc319aG
自分は「おじさん」か?
相対的なもので、場に依るな〜と感じている 39 歳男性です。こんにちは。
「20 代の人々 + 自分」という場では、おじさんっぽい立ち回りになることはある
こういう場で他者から「おじさん〜」と言われることをイヤとも思わない
70 代の友人たちと話していると「若者」と呼ばれたり、妻とあわせて「若夫婦」と呼ばれたりする
70 代のご夫婦が運営している飲食店で「若くていいねぇ」と言われたり
まあ 30 以上も年下の人間を相手にしたら「若いね」という感覚を抱くのはわかる
年齢はそれほど気にされていないっぽくて、それよりも立場が重要視されている
もし「自分は、完全におじさんですよ」と感じている人がいたら、生活の中での立場が固定されているのかもしれないね。いろんな場で立場を切り替えながら暮らしてみると発見があるかも。
「おじさん性」の話ってのもあるよね?
いろんな場面で「おじさん」という言葉を見聞きするわけだけれども、場合によっては、必ずしも「中年男性」のことを指していなくて、たとえば「ベテラン」くらいのニュアンスで使われていたりする。 ぼくの理解ではおじさんという言葉そのものは「それなりに年を取っている・それなりの経験年数がある」と「男性である」というふたつの要素の掛け合わせから生じるものだが、片方の「男性である」の成分を含まなくても、言葉のキャッチーさから「おじさん」というワードが選ばれるシーンは少なくなさそうだ。「もうおじさんだから、体力の衰えが厳しくてね〜」は「もう中年だから、」で十分ではある。 ことさら「叩く対象」としてのおじさんは、その性質を「おじさん性」として捉えることができるだろう。 よく叩かれる「働かないおじさん」は男性である必要はなくて、きっと「働きに見合わない給与をもらっている人間」に対するネガティブな感情の矛先として、それがおじさんである場合が多くて叩きやすいから「働かないおじさん」として槍玉にあげられていると捉えている。 「おじさん」の現在地
自分も文脈によってはおじさんとラベリングされる生物なので、雑におじさんが叩かれているシチュエーションはなかなか悲しい。とはいえ、これはたぶん直近 30 年くらいの間によろしくないふるまいをするおじさんがたくさんいてそれが目立っていたからだろう、と思うので仕方ないと感じている面もある。 政治家の汚職が続けば、政治に対する不信感は募る。若者の大騒ぎが続けば、そういう見られ方が強まる。個別のひとりひとりを見れば必ずしも当てはまらないケースでも、社会におけるイメージってのはカテゴリに対して形成されるので、ひとりのおじさんが印象の悪い言動を繰り出せば、おじさん全体のイメージは悪化されて、ますます叩かれるようになるだろう。上の世代の人たちの言動のツケを自分が払わされるのは完全に癪だけれど、だったらなおさら、下の世代に払わせたくはないので自分の言動をシュッとさせていくのがいいと思う。 自分の中の「おじさん」との付き合い方
現時点でのまとめ。
「おじさん」より適切なラベルがある場合は、積極的にそちらを採用する
「年齢が 40 代」や「経験年数が長いベテラン」のように、性別があまり関係ない文脈もたくさんある
同じような状況の女性もいるよね、ってときに「おじさん」というラベルを用いるとステレオタイプが強化されるからよくないと思う
必然性のある場面でのみ自分を「おじさん」として扱う
甥っ子・姪っ子と接するときに「おじさんだよ〜」と言うのはなにも問題ないと思う
立場ってのは相対的なものなので、おじさんとしての自分を絶対視しない
地域性の話をしているときなら「道産子」、趣味の話をしているときなら「漫画読み」など、他にも自分を表現する属性はいくらでもある
今後のおじさんのイメージがよくなるように言動を選ぶ
今の 20 歳くらいの人たちが 40 歳になるころに、悪いイメージの立場を渡したくない
日本の社会において中高年の男性たちは下駄を履かされているシーンがあちこちにあると思うので、率先して下駄を脱ぐくらいのスタンスで過ごす
おじさんが雑に叩かれない社会を目指したい、そのためには今より力を失うのがいいと思う