いい人、いい組織
「いい人」「いい組織」といった表現がある。対象の性質について述べているように感じられるけれども、これはしばしば状態の話なのではないかと思う。 いい状態の人
ぼくが思うような「いいふるまい」を維持できるだけの余裕がある状態の人
いい状態の組織
ぼくが思うような「いい活動」を定常的に行えるような余裕がある状態の組織
ぼくは「人」や「組織」をそういうふうに見ている。ある名前で指し示される「組織」があったとして、テセウスの船よろしく、数年のときを経て中にいる人はガラッと入れ替わるかもしれないし、業績がグッドな時期もバッドな時期もあるだろう。そういった状態を抜きにして「◯◯は、いい組織」と論じるのはいささか無理があると思う。 「追い詰められたときに本性が出る」みたいなフレーズがある。ぼくは漫画をよく読むので、パニック系・サバイバル系の作品で見かけるフレーズだ。それはそうだろう、と思う。ぼくも、妻が人質に取られるような状況に陥ったらふだんと同じようには行動できないと思う。
マッチングを考えるときには、状態によって左右されるものは「そういうもの」として見ておくのがいいと思う。たとえば所属する企業を選ぶとして、これは業績がいい今だからやっているんだな、という枝葉の要素と、どんな状態だろうと揺るぎにくい創業に至った背景や実現したい世界のような根幹の部分を、見分けておけるとよい。
羽振りのよい取り組みをピックアップして「いい会社!」と捉えてしまうと、業績が悪くなってそういった取り組みがカットされていったときに、それはあなたにとって「よくない会社」になりうるのだから。
人に対しても同様で、ぼくにとっての関係が長続きしている友人たちというのは根幹の部分で魅力を感じている人々だ。「◯◯をしてくれなくなったから」で切れてしまうような関係は、それが悪いと言うつもりもないが、そういう種類のつながりなのだと思う。
どこかで「いい女ってのは、機嫌のいい女」的な言説を見た記憶があって、調べてみたら松任谷由実さんのツイートを発見して意外だった。けっこう昔から言われていることなのかしら。 これは別に性別を限定しなくていい話だろう。ぼくも、機嫌のいい人間としてやっていきたい気持ち。そのために、時間的・空間的・経済的、軸はいろいろあるけれど、とにかく余裕を失わずに生きていけるように工夫を重ねたい。