「聞く力」と「聞き返す力」
エール株式会社方面の篠田真貴子さんや櫻井将さんの発信を受けて「聞く・聴く」ことの重要性をあらためて感じているのがここ 1 〜 2 年くらい。「傾聴」って言葉もあちこちで見聞きしている。 妻と話していて、あるいはキマグレエフエムのエピソードを自分でも聴いていて、自分の態度は「相手の話をおとなしく聞く」ではないよなあ、と思ったりしている。もちろん「今回は、おとなしく聞け!」と場のモードが明示されていればある程度はそれに従って「おとなしく聞く」を実践できるとは思うものの、ふだんの対人関係においては、おとなしく話を聞き続けることは少ない。 かといって、相手の話を「そんなのダメだよ」と遮ったりすることはなくて、なにをしているかというと、聞かせてもらった話に対して
「今の話を聞いて◯◯という理解をしたのですが、あっていますか?」
「今の話から察するに、あなたは◯◯を前提として考えていそうですが、どうですか?」
のような質問を繰り返して、相手の発言の周囲にありそうな情報を拾い集めようと努めている。ときには、
「あなたは他人に対してはそんなことは言わないのに、自分に対しては言うんですね、評価関数を使い分けているように見えますが、どうでしょうか?」
と問うてみたりする。そうか、相手がなにをどう捉えているかに興味があって、その良し悪しにはそれほど興味がなくて、認知の輪郭を明らかにしたいと思って対話しているんだろうな、きっと。
おとなしく聞くわけじゃないけれど相手の認知についてはちゃんと興味を持てているとき、対話の雰囲気はそう悪くないものになると感じている。発掘作業をいっしょにやっているような感覚。新発見があるといっしょによろこべる。
自分としては「聞く力」はあんまりなさそうで「聞き返す力」はけっこうありそう、という自認。
相性がよかったり悪かったりはおおいにあるだろうけれど、相手の「話したい」欲求が「話しながら考えを整理したい」系のときは、ぼくの聞き手としてのスタイルが役に立つこともある。