「生き抜く」世の中ではなく「生き合う」世の中を目指す
朝日新聞ポッドキャスト『ニュースの現場から』を聴いていて、とある教員に興味を持った。
https://open.spotify.com/episode/1HcKcgIodfeWqNi7ncYAr8
当時は大阪市立木川南小学校の校長を担当されていた久保敬さんの 2021-05-17 付の文書が朝日新聞デジタルに今も掲載されていたので読んできた。
「生き抜く」世の中ではなく、「生き合う」世の中でなくてはならない。
大阪市立木川南小学校・久保校長の「提言」全文:朝日新聞デジタル
「生き合う世の中」ってのは力強いフレーズ。どういった社会・どういった教育を目指しているのかが伝わってくる。少なくともぼくが感じたメッセージはある。
生き抜く
個人戦、自助、自己責任
生き合う
団体戦、共助、持ちつ持たれつ、困ったときはお互いさま
『七人の侍』の組織論 by 内田樹
「学力」と呼ばれるやつは個人戦を想定したときの能力を指していそうだな、と思う。完全な個人戦であれば「出し抜く」も生存確率を高める戦術として有効だと思うので「生き抜く世の中」という世界観ともマッチしていそう。
団体戦や、チームで成果をあげる状況を想定すると、出し抜く的なふるまいがマイナスにはたらくことも多くなる。津波てんでんこのように瞬間的な「有事」を考えるなら各位が最大限に自分の生き残りに向けて動くのは得策だとして。人口減少社会においてリソースの不足が「平時」となるような時代を生きるに当たり、自分がどういったスタンスを選択するのか問われているように感じる。
自分は「生き合う世の中」に近づくような言動を取れているだろうか。