「忙しさ」の評価
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無職の期間を過ごしてみて「中年男性は、忙しくしているもの」という社会の思い込みがありそう、と感じた。ぼくの 1 週間のカレンダーに予定がなにも入っていなくても「お忙しいところ申し訳ありません」「忙しいだろうに、ありがとうね」といった類の声かけを多く頂戴したからだ。なんだったら「忙しくあるべき」という価値観を感じるシーンもあった。 「過労死」という悲しすぎる概念を生み出してしまった社会の一員として、社会全体に対して「もっと、休み上手になっていこう」と考えている。いっしょうけんめいがんばりたい状況にある人が忙しくするのを止める気はないが、なんとなく「そういうもんだから」と忙しくしてしまっている中間層の人たちについては、もっとお休みが許容されていてほしい。 2024 年の日本における「フルタイムの労働者」のモデルは「1 日 8 時間、週に 5 日間の労働」がもっともポピュラーであろう。多くの人々の間でそのような認識モデルが共有されていると感じる。おそらく、中央値的な人は実際にそのような労働時間で暮らしているのではないか。厚生労働省のレポートの「図1 男女別週間就業時間数の割合の変化(1973年→2023年)」を見ると 2023 年のデータで中心にくるのは「35〜42時間」の帯なので、だいたい 8 x 5 で働いていそうという想像と矛盾しない。 わが国の過去 50 年間(1973 年~2023 年)の 労働時間の推移についての考察
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ほんでぼくは、未来について、
週 4 日の労働が一般的になる
週 6 日の労働が一般的になる
の二択であれば前者を望んでいる。今より労働時間が短くなったらいいな、と思っている。週 5 日の労働を経験したこともあるので当事者としてコメントできて、あれはまあまあ忙しい。祝日が入って労働日が 4 日になる週によろこびを感じている人が多く存在するのも観測している。
もちろん、職種や業態によっては、労働時間を減らすことがダイレクトに収入減につながってしまうこともあるだろうから、労働者全員に対して単純に適用できるような話でないのは理解している。その上で、減らせるところから減らして、社会全体の統計値と雰囲気を「そんなに働かなくていいじゃない」に寄せていきたいというのがぼくの主張だ。先の厚生労働省のレポートでは 1973 年から 2023 年にかけて労働時間に減少傾向が見られるので、この傾向を続けていけたらいいな、と思う。 そう考えると、特に労働生産性の振れ幅が大きいような業態においては、とにかく「忙しい」という状況にプラスの評価を与えないのが得策だと思う。むしろマイナスの評価を与え続けたい。「忙しい」って、いい状況じゃないよね、忙しくならないように工夫しようね、という向きに持っていきたい。 「お忙しいところ◯◯」とか「忙しいのに◯◯」というフレーズも、だんだんと使用を避けるようになってきた。
実際のところは、ぼくがどれだけ忙しいかってことに、他人は具体的な興味を持っていないのだろう。ヒマをしているぼくに対して「お忙しいところ〜」と言うのは、どこからやってきたかわからない人に「遠路はるばる〜」と言うようなもので、確認せずに的外れなことを言ってしまう滑稽なやりとりだ。
「忙しいのに、ありがとう」というのも妙な話だと思っていて、相手が自分に対してしてくれたことの「ありがたさ」が相手の忙しさによって変動するのは不思議な評価関数な気がする。逆側から見て「相手がヒマだとその行為の価値が下がる」と書いてみるとやっぱりぼくは違和感を抱く。相手が忙しかろうがヒマだろうが、自分に使ってくれた時間がうれしければ、すなおに「会いにきてくれてうれしい」「自分に時間を使ってくれてうれしい」とよろこぶのがいいだろう、と今は考えている。
なんかの窓口で待たされるようなことがあったとして「お忙しいところ、ご足労をおかけしてしまい」的なことを言われると、これも不思議だな〜と思う。改善できるとしたら「足労をかけないような運用フローを確立する」であって、こっちの忙しさに言及するのは筋が違う。こっちがヒマなら手間や足労をかけてもいいってことじゃないので、誰が相手であっても最小のコストで済むように運用の改善を期待している。まあ、これは「こっちは忙しいんだぞ!!」と吠える来訪者への対応を繰り返す中で編み出された穏当フレーズだろうとは思うので、窓口ばかりを責めるつもりはないというか、やっぱり「忙しさ」がよくないじゃん、と思うのであった。