「叱る」の限界と依存性について
子育てや教育において、どうも「叱る」という行為の効果や影響力がその実力よりも過大評価され過ぎているように私には思えています。
叱るという行為は、世間一般に考えられているほどの効果はありません。そして好ましくない副作用も多い取扱注意な対応かと思います。
記事タイトルに加えて、冒頭のここまでを読んで「おっ、なんだなんだ」と興味を持ってしまった
叱るという行為について語りますので、ここで叱るとは何か?について整理しておきましょう。いろいろと考え方はあるかと思いますが、ここでは「何らかのネガティブな感情体験を与えることで相手をコントロールしようとすること」という意味で使いたいかと思います。ネガティブな感情とは、恐れや不安や恐怖、苦痛などです。
定義のお話から始まると安心する
少し本題から逸れますが、「怒るは駄目だけれど、叱るは必要」という、子育て論や教育論でよく言われる説明についても私は懐疑的です。よく言って「怒るは論外、叱るは怒るよりはましだけれど効果が薄い。そしてどちらも副作用が強い。」という感じかと思います。ネガティブな感情を与えてコントロールするという意味ではそう大きな違いはないかと思います。
「怒るのはよくない」までは、けっこうな数の人との間に共通認識を持てている感触がある
「叱るのもあんまりよくない」というのが、この記事のポイントかな
叱る、つまりネガティブな感情を与える行為は短期的かつ即効性の高い変化を起こせます。つまり、叱ったらとりあえずその場では何らかの行動をやめたり、始めたりしてくれるわけです。そのため、叱るという行為には高い「効果」があるような誤解が生まれます。
なるほど
短期的に「効果的である」と感じやすい手法である、ということか
そしてさらに難しいことに、相手にネガティブな感情を与えてコントロールするという行為には、行為をする側に心理的な充足感を与えてしまう側面があります。言い換えるなら気持ちよくなってしまうということです。
これ怖いやつじゃん…
実際叱るにそこまでの効果はありません。叱るという行為は、主に叱る側のニーズを満たすための行為であるということを自覚する必要があります。
やばいやつ
大事なのは、そもそも叱らないといけない状況を減らすために何ができるかであり、その為の手立てや発想をどれだけ豊かに持ち合わせているかということになります。
ここがめっちょ大事だな〜
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そしてさらに、最近の脳科学の研究ではより深刻な影響についても指摘されています。それは慢性的な強いストレス状況が脳の健全な発達を阻害する可能性の指摘です。ここまで来ると副作用という言葉では軽すぎる悪影響と言えるでしょう。
「脳を傷つける」と言われてしまうと、「躾」なんていうものじゃなくて「暴行」じゃんという印象が強まる
躾という語彙にしたって、あんまりポジティブな印象ないけどね
前回の記事を書いてたくさんの反響を頂くことで気づけたことがあります。それは「叱る」を手放そうとすることに強い抵抗感や恐怖と言ってもいいくらいの負の感情を感じられる方が少なからずおられるということです。
叱る以外の方法が考えられなくなることの背景の一つに「叱らずに褒めよう」という言説があまりにも安易に浸透しすぎていることがあるのではないかと思っています。叱ると褒めるが対比され強調され過ぎてしまうことで「叱るをしない=褒めなくてはいけない」という図式が強くインプットされてしまうということになります。
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お子さんの言動に、困った行動や気になる行動が増えると周囲の大人たちの発想はどうしても「これをやめてほしい」「これさえしなくなってくれたら」とその言動をなくすこと、減らすことに意識が奪われがちです。そういう時に「この状況において、どう振る舞ってほしいのか、どうあってくれたらOKと言えるのか」という問いについて考え、そう振る舞ってもらうために出来ることは何か、を考えることはとても有益なことです。
「走っちゃダメ」じゃなくて「ゆっくり歩こう」と伝える方がいい、みたいな話は読んだことある
「ちょっと待て。手を洗ってくるか食べないかの選択だ。手を洗わず食べるという選択はない」
選択肢を与えて、上手に「手を洗う」を促している例が紹介されている