「受け継ぐ」ことと、「共有」すること
From On “On Love” | quipped
最近、「受け継ぐ」ことと、「共有」することについて考えている。
オンラインの資料や読み物は、「共有」しやすい。リンクを渡せばそれで終わり。PDFだって、コピーするのは一瞬だ。大事な書類や写真を失くす心配は、ほとんどなくなった。
その反面、紙の資料や書籍は、共有に向いていない。同時に参照することが難しく、複製がメンドクサイからだ。なので、我々は、一時的に、あるいは恒久的に、「受け継ぐ」ことになる。両親の蔵書、友だちのマンガ、古本屋で探し当てた専門書のページを彩る蛍光色のハイライト。
受け継ぎと共有は、相対する概念なのかもしれない。今、たくさんの人に共感してほしい共有。いつか、特別な人にメッセージを込める受け継ぎ。一瞬の共鳴と、一生の感銘。広く短く、あるいは細く長く。
ロマンチックなエッセイだな、と思いながら読んだ。
「受け継ぐ」なるほどな〜。「共有する」が機能的だとしたら、それと比べて「受け継ぐ」は情緒的な要素がいくらか強い気もする。襲名という仕組みのことを思い出しもするな。上書き保存してしまう仕組み。
「一度しか使えない」という制約付きの招待リンクやクーポンコードはちょっと受け継ぎ感がある。
「受け継ぐ」をテーマにしたアプリケーションをつくるとしたら、どんなものになるだろうか。たとえばぼくが作成したコンテンツの所有権を誰かに譲渡したら、ぼくはもう編集できなくなる。そんな感じかな。相手を指定する「受け継ぐ」パターンの他に、相手を指定せずに「手放す」「放流する」というパターンもありそう。
「共有する」がフランチャイズだとすると、「受け継ぐ」は一子相伝や門外不出を思わせる。