「効率」「コスパ」が大きな声で語られるとき
世の中を眺めていての印象の話。自分の観測範囲が偏っているとは思う。
人生に残された時間は有限だし、少しでもグッドな時間を過ごしたいよね。ぼくもそう思う。
でも、というか。だからこそ、というか。これらを意識しすぎるあまりに「短期的なもの」に選択が偏ると長期ではよくない結果をもらたすことがあるだろう。
「コストを最小化したい」を突き詰めて「一定以上のコストを要するものに取り組みたくない」に行き着くとどうなるか。「短期で結果が出ることしかやらない」と書いてしまうと、直感的には、豊かな人生につながるとは感じられないところがある。 近年の自分は、日々、とうてい聴き切れないほどの音楽にアクセス可能で、自宅での作業中には適当に音楽を流しておくから、1 週間のうちに耳に入れる曲の数は 100 をこえる。一方、小中学生のころの自分には少ない選択肢しかなかったから、レンタルしてきた音楽アルバムを繰り返し何度も再生し、歌詞カードを目で追いながら歌詞を覚えるまで聴き込んだものだった。週のうちに耳に入れる曲の数は多くはなかった。
そうして何度も何度もじっくりと聴いた曲は、あれから 30 年近くが経った今でも歌詞を覚えていたりして、ぼくはここに人生の豊かさを感じている。なにかが自分の一部になっている感覚に豊かさを覚えるのかもしれない。
「熟成」「発酵」のようなキーワードに魅力を感じるようになってきたのは、ぼくが年齢を重ねてきたからなのか、慌ただし過ぎると感じる世の中への逆張りなのか、理由は定かではないけれど。長い時間をかけることでしか得られないものがあるとすればそれは贅沢品で、実はとてもパフォーマンスが高いものなのではないか。効率やコストパフォーマンスについて、目先のコスト最小化の罠を避けるために、たまには深掘りして向き合ってみたいと思う。