分かり合えていない、を出発点にする
この作品を読んでぼくも同じようなことを感じていたので、文章にしてくれてありがとう Piro さん、と思ったのだった 「なんもなければうまくいくはず」的なスタンだと、なにか悪いことが起きるたびに持ち点が減っていく減点思考の感覚になりがち 「いま、ぼくらはお互いに分かり合えていない、だから不断の努力によって分かり合っていこう」を出発点として、すれ違いがあったとしても気にしすぎることなくやっていけばいい
明日、今日よりも分かり合えていたら万々歳
先日、いろんな国籍の人々から成るチームでお仕事をしている友人と話す機会があった 前提として共有できているものが少ないとお互いに分かっている分、認識合わせにきちんとコストをかけることを良しとしており、チームはとてもよい状態だと話してくれた 「分かり合えている」じゃなくて「分かり合おうとしている」が満たされている状態、とぼくは理解した
「空気読めよ」みたいな態度のメンバーは存在しない
狭い島国に生まれて、育って、同じ国籍の人たちが集まって、根拠もなく「分かり合えている」と期待して、でも実態はそうではなくて、がっかりして、を繰り返すくらいなら どう見ても分かり合えていない多様な人々でチームを組んで、多様さを楽しむことを覚えて、多様さが価値を生むという経験を得て、どんな相手であれ分かり合おうとするスタンスで接していけたらいいと思う